今日は引き続きネヘミヤから学びましょう。
ネヘミヤ2:17-18
ネヘミヤ書のテーマ聖句になるような箇所。
まさに城壁を立て直す時に、ネヘミヤが言った言葉。
わたしたちも今まさに再建しようとしているところ。
まさに始まろうとしている時に、水を刺すようなことが起こった。
ネヘミヤ2:19
突如敵が登場した。再建は敵に妨害された。
城壁の再建はやる気だけでは成し遂げられなかった。
実は、神様の御心は、敵なしには城壁の再建はなかった。
敵の存在は大きなテーマ。
再建は敵との戦いでもあった。
敵を知って対処する必要があった。
なにかを成し遂げようとする時に敵は必ず出てくる。
ポイント1:「恐れ」ではなく戦おう!
敵は突然出てきて、完成までずっと攻撃してきた。
考えられるのは、彼らは城壁の再建があると不都合が起こってしまう。
また、恐らく権力もあった。
彼らは、最後までしつこく妨害してきた。
- ネヘミヤ2:19
「お前たちは何をしようとしているのか。王に反逆しようとしているのか。」
- ネヘミヤ3:33-35
「この哀れなユダの者どもに、何ができるか。」
出来るわけない、やっても価値がない。「出来たとしても狐が登るだけで崩れてしまう。」と、揶揄した。
- ネヘミヤ4:2
「彼らは皆で共謀してエルサレムに攻め上り、混乱に陥れようとした。 」
- ネヘミヤ6:19b
「トビヤはわたしに脅迫の手紙をよこした。 」
権威に逆らっている意味がない。何様だ!とネヘミヤは責められた。
お前は無力だ、価値がない。
怒り、陰謀をぶつけられ、問題扱いされた。
脅迫され、責められ、もっと悪いことが起こる。
不安、恐れ、危険があった。
この事実、半分励まされる。ネヘミヤもわたしたちと一緒だった。
ネヘミヤがどんなに素晴らしいリーダーだったとしても、敵はいなくならかったという事実。
今も、あなたが問題と社会や会社、家庭で言われているかもしれない。
自分の声かもしれない。
今日わたしたちのサンバルトとトビヤはなんですか?
もっと大切なのは、わたしたちがどう対処するか?です。
ネヘミヤの対処の仕方は?
ネヘミヤ4:8
「恐れないで神様を覚えて戦いなさい!」が、ネヘミヤのアドバイス。
わたしたちは恐れる必要はなく、神様を見て戦っていける。
戦う:敵と対峙する。敵に直面する。
ネヘミヤは敵とちゃんと戦った。避けなかった。
今日、わたし達は城壁を再建したい。
敵への対処が間違っているとなかなか再建できない。回避して戦わない。
臭い物に蓋をしても、問題は解決しない。もっと臭くなる。
英語のことわざに「sweep something under the rug」という言葉がある。ラグ(敷物)の下にゴミを掃いて隠す
悪いポイントは、問題があるのを知っていても、見て見ぬフリをすること。
問題がわかっていることと、問題に対処しているのは違うということ。
わたしたちの教会は、問題をよく知っている。
おそらくわたし達は、自分の弱さや自分の課題を聞かれたら答えられる。
知っているのと恐れずに戦うのは違う。
戦わなければ痛くない。
でも、聖書が教えているのは、神様がいて恐れなくていい。
敵を直視して戦えるということ。
恐れや不安でなく、敵を直視して戦っていますか?
個人的に、去年から父親が癌になり、不安や心配、ショックがある。
まだ治療法があるというので、恐れでなく直視しようとした。
胃癌についてすごく調べた。
検査結果を聞く日、直面した。
休みを取り、親とも死について真剣に話した。
一緒に泣いてたくさん祈った。
問題を直視したら、安心出来た。
わたしたちは、自分がどのような状況かわかると、神様の前で安心出来る。
あの日は、振り返ってみると良い時間だった。
まだ振り返るのには早いが、逃げなくてよかった。
また、何と声を掛けられたら励まされるかも知った。
「心配だね。不安だね。」というのはあまり励まされない。
「戦おうね、一緒にやろうね。大丈夫。わたしも胃取ったから。」こちらのほうが励まされる。
一緒に神様見て戦っていきましょう。
ポイント2:妥協ではなく、戦おう!
ネヘミヤ13:4-5
最後の最後にトビヤがまた登場する。
神殿は、再建した。民たちも再建された。
そこでまだ問題があった。
トビヤはユダの祭司の家族と結婚して内縁だった。
神殿という神様の場所を、私的に使っていた問題が出てきた。
なぜアンモン人トビヤの問題が2章からずっと出ているのに、ここでまだ解決されていないのか?
トビヤという人:
混血。ユダヤの名門一家。
トビヤ家はゼルバベルと共に捕囚から戻ったと言われる。
ユダの有力者と内縁の関係にあった。
貿易で成功し、強い経済力を持っていた。
ユダヤ社会で大きな影響を与えていた。
ユダヤ社会で重要な影響を与えた一家。
ゼカリヤ書では良く描かれている。
実は、トビヤ家は、この後さらに繁栄する。
この人は良いこともしてきたかもしれない。
だから神殿の一室を使われても、誰も文句が言えなかったのではないか?
妥協= compromise
妥協案は歩み寄るので、悪いことだけではない。特に人間関係
でも、神様の神殿を好き勝手に使って流用するのは、絶対に妥協できないことだった。
妥協というより、トビヤ家に対する遠慮だったのかもしれない。
結局問題は解決されない。曖昧。
曖昧は、日本人社会に根深くあること。
この場面で敵に捉われて解決できないのは、人間関係でトビヤ家に遠慮しているからであって、神様のためではない。
ネヘミヤはどう対処したか?
ネヘミヤ13:6-9
わたしはこのネヘミヤのシンプルな解決と行動力が大好き。
全ての遠慮を排除した。徹底的にクリアにした。
全てのトビヤの器具類を外に投げ出し、清めた。
わたしたちは神様の前で正しくないものは徹底的に投げ出さなければならない。
わたしたちは、神様の前での罪を徹底的に追い出していますか?
どんなに小さな罪でも。
トビヤはたくさんの神殿の部屋を使っていた。
本来神殿に置くべきものが置けていなかった。
わたしたちは、巧みに人間関係の中で罪を曖昧にしてしまう。
神様の前で、敵とも妥協して人間関係の問題にしてしまっていませんか?
人間関係で折り合いをつけるのはいい。それと混同していませんか?
今日わたしたちのトビヤはなんですか?
遠慮して妥協していませんか?
最近わたしは、いろんな人との関係で追い出さなければいけないものがたくさん出ている。
自分が妥協してこれまで曖昧にしてきた罪が見せられている。
けれども同時にこれは神様に捧げるものに変えるチャンス。
今日神様の敵、問題を直視して妥協をやめましょう。
神様の前に中途半端、妥協はないからです。
今日、神様の前で一緒に敵を倒し、再建していきましょう。