ネヘミヤ2:20
今年の東京キリストの教会のテーマ聖句が礼拝堂に掲げられた。
素晴らしいのは、私たちの努力や他の人でなく、神様が成功を与えてくださるということ。
今日は、ネヘミヤ10-13章から話す。
本日はネヘミヤシリーズ最後。
すでに城壁は再建され、民達の心は再建された。
ネヘミヤ10章:誓約から始まる。
11章 移住
12章 奉献、お祝い
私は12章が大好き。
めでたしめでたしでは終わらない。
しかし、13章でまた改革があり、たくさんの問題が起こる。
ネヘミヤが都を再建しているときの13章の問題:
- トビヤのための神殿の流用(:4-9)
- レビ人への給与の未支払い(:10-14)
- 安息日の誓いの破り(:15-22)
- 異民族との婚姻関係(:23-33)
ネヘミヤ13:23-28から今日共に深めていきましょう。
アシュトト人、アンモン人は城壁再建を妨害した人たち。
モアブ人たちは、モーセの書で結婚してはならないと言われた人たち。
その人たちとの混血になった民の半分は、言葉が通じない。
あろうことか、大祭司の娘が、あの神殿再建の妨害をしたサンバラトの婿嫁となっていた。
今日のポイント:「神様中心」
どうしてネヘミヤはここまで徹底的にやったのでしょうか?
高い基準?しかし、ネヘミヤには重い税に暖かく歩み寄る姿も見られます。
ネヘミヤには、神様と敵対している民族との婚姻を神様が喜ぶはずがないとブレない心があった。
城壁再建前にあれだけ嘆いていたネヘミヤは神様との個人的な関係がそこまであった。
あなたと神様との関係は個人的なものですか?
正直に今日どうですか?
ネヘミヤの一貫しているところ:神様と共にいて神様中心
どうやって神様との個人的な関係と、神様中心であることがわかるのか?
それは神様に個人的に作り替えられているかでわかる。
ある本で、あなたはあなたがワーシップ(崇拝)するものに似ると書いてあった。
ワーシップ=語源は「価値あるもの」
人は最も価値があるものと思っているものを人生の中心に置く。
それはあなたが何者になるか、何者になるかを決定する。
ネヘミヤの民への思いはイエス・キリストのよう。
私たちは今日、キリストらしさを身につけているでしょうか?
周りの人がハッとするくらいイエスのようでしょうか?
ネヘミヤはイエスを知らなかった。けれども彼は神様中心で、イエスのようだった。
イエスの十字架を知っている私たちですが、中心が仕事やお金、人になって簡単に神様を外してしまいます。
今日私たちはどうでしょうか?
先日まで、シンガポールとバリへ行ってきた。
そこでわたしは日本人として誇りに思うことを見つけた。
成田空港のトイレ。めちゃくちゃ綺麗。人は当たり前に慣れてしまう。
インドネシアの弟子の国で、ある既婚者の家で料理を振舞ってくれた。
美味しい美味しいと食べるので、奥さんがたくさん料理を出してくれた。
その中で豚肉が匂いが臭く、お腹を下した。
そんな中、聖書勉強が始まった。
終わるまで待って、トイレに行くもトイレットペーパーがなかった。。。
泊まるためのベッドルームを貸してくれたが、死んだゴキブリと生きたゴキブリがその部屋にいた。。。
ここには住めないかもと思ったが、2日以降は慣れてしまった。。。
同じようなことが神様とわたし達の関係でも起こる。神様以外の◯◯中心になること。
異民族との結婚、ずっとやってきて民たちは慣れてしまっていた。
でもネヘミヤは違った。
神の国に城壁がないのはありえない。
異民族との結婚、ふざけるなと考えていた。
今日私たちは、神様以外のもので心が鈍くなってしませんか?
正直に話すと、わたしは◯◯に「結果」を入れてしまいます。
ミニストリーでの結果中心など。
恥と恐れから自分にプレッシャーをかけて、周りにも強要し、責任転嫁して周りを傷つける。
この罪から抜け出せず、神様中心にできなかった。
ネヘミヤは終始一貫していた。
神様は彼との関係を通して、神の国を再建した。
わたしが素晴らしいと思うのは、ネヘミヤの成し遂げる力と共に神様の恵みにあふれているから。
ネヘミヤの祈り(13章)
- 14節
- 22節
- 31節
ネヘミヤは祈りの中で、「わたしの神よ」と常に個人的だった。
自己中心ではなく、神様との二人三脚で建てた城壁だと感じる。神様との個人的な関係から、人々とも恵みの関係を築いてきたのを感じる。
個人的に来月でバプテスマを受けてから6年になる。
大学2年生の時だった。非常に喜んでいて、同じ喜びを人々に伝えたいとベストを尽くしていた。
アメリカへ留学。大きな神様の働きを見た。
神様中心にするため、人生で取り組んでいたサッカー辞めた。
その後大学へ戻って、社会人になって、弟子として働くむずかしさを感じた。
昨年の6月から恵みにより教会で働いている。
わたしは神様のためにベストを捧げてきた5年間だった。たくさん間違いはあった。
でも一つ目に救いを成し遂げることだけ考えてきた。
二つ目は神様に認められることを常に求めてきた5年間だった。
立ち止まっては駄目だ。走り続けないと。
しかしここ3年、見えない壁にぶつかっている。
ネヘミヤを読んでわかったことは、ネヘミヤと神様の立ち位置はわたしと神様の立ち位置は違うこと。
ネヘミヤは神様と二人三脚。バディーのような。もちろん神様を怖れている。
自分は違う。
神様は、マタイ28:20のように「わたしはいつも共にいる」と言われている。
今年の決心は、「神様に認めてもらうために走らない」こと。
昨年、がっかりや怒りから神様を見れなくなった。
一人で懐かしの皇居に行って祈った。綺麗な祈りでなく、本当の自分の思いを出した。
昨年は本当に難しかった。
人に怒りがある。
神様にがっかりしている。
涙を出して祈った。時に神様の暴言を吐く祈りをした。
そこで神様が心変えてくださったと感じた。
うまくできなくても、バトンを落としても、そのバトンを一緒に持ってくださる方こそ神様。
行いで認められなくていい。
どこまでも神様に追いつけなくても受け入れてもらっている。
安心を感じた。
ネへミヤは問題が起きても、神様常にいたので人々に恵み深く慣れた。
本当の勇気と信仰を得た。
今日神様と個人的に再建しましょう。
何があっても神様を中心とすると今日決めましょう。
そして、人ではなく神様が共にいてくださることを覚えましょう。
そうすれば、かならず神様ご自身が勝利を与えてくださいます。
今日そのことに信仰を持って歩みましょう。