『永遠に生きる言葉で愛し合おう』
スライドはこちらから→20200823 ペトロシリーズ2 永遠に生きる言葉で愛し合おう
1ペトロの手紙、読んでもあまり心に入らない思いがあった。
しかし、ペトロの人生を考えながら読むことで理解が深まった。
普通に読むと、福音書のペトロとこの手紙の作者がつながらない。
福音書のペトロは何度も失敗した。
・誰が一番偉いか議論してイエスに怒られる
・水の上を歩くイエスについていけず溺れる
・イエスを三度裏切る
など。
等身大の人物で、聖書の登場人物でも人気。
でも、彼の手紙が好きな人は少ない。
彼の人生と手紙の著者が繋がっていない人がいるのでは?
ペトロの人生を振り返りながら考えていきましょう。
(キリスト教簡易年表)
西暦0年:イエス誕生(最初のクリスマス)
西暦30年:イエス宣教活動を開始
西暦33年:イエス十字架にかかり、3日後に復活する
西暦33-63年:ペトロ各地を巡回して福音を宣べ伝える
西暦64-65年:第一ペトロの手紙をローマで執筆
西暦66-67年:第二ペトロの手紙をローマで執筆
西暦67年:ローマにて殉教
ペトロは、皇帝ネロの迫害が始まったローマにて殉教するまで各地で福音を伝えていた。
生涯最後、ローマで自らも迫害に遭いながら迫害に遭う弟子たちを励まし、勇気づけた。
1ペトロ2:9
ペトロの必死な思いを受け止め、どのように反応できますか?
彼は失敗の多い弟子。
イエスを裏切る場面、どの福音書にも載っている。
いわゆる聖人君子ではない。
でも、そんなペトロに神様が働いている。
私たちにも神様が働いている。
書かれたときから2000年の隔たりがあるが、今も生きる励ましのメッセージ。
ポイント1:兄弟愛で熱く愛する
1ペトロ1:22-25
「あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、
偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい。
あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、
すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。
こう言われているからです。
『人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。
草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。』
これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。」
ペトロが兄弟愛について強調する理由は何でしょうか?
偽りのない兄弟愛=sincere love
sincere=誠実な、嘘偽りのない
love=philadelphia=兄弟愛
イエスといたときは、目立ちたい、一番偉くなりたいという思いが強く、そしてそのイエスを裏切った。
兄弟愛のない弟子だった。
12使徒の中でも、兄弟愛を持っていたのはイエスだけだった。
イエスの愛は、嘘偽りのない兄弟愛。
イエスの愛に上下はない。横の関係。
私たちにとって、神様は父でイエスは長兄のような存在。
ペトロは多くの失敗、罪を見せられる。
そんなペトロはイエスは命を捨てて愛した。
ヨハネ15:13
ペトロはイエスにこの愛を貰い、大事であると伝えている。
ペトロは、私たちもイエスと同じ兄弟愛を抱いていると伝えてくれている。
1ペトロ1:22を新改訳聖書で読むと「深く愛し合いなさい」ではなく「熱く愛し合いなさい」と書かれている。
熱く=extenos
熱烈に、熱心に、一心不乱にという意味
stretch(ストレッチ)が語源。
伸ばすという意味も入っている。
弟子は、熱心にストレッチされる機会が多い。
最近、深く自分に向き合う機会を与えられている。
ある兄弟が「あなたに頑なな心はないですか?」と聞いてくれた。
バプテスマを受けてから10年が経った。
様々なポイントで変えて貰った。
それでも、自分自身中々変わらない部分がある。
恐れ、FEAR。
私はいつも何かを恐れている。そう気づき始めた。
人の目、結果、評価を恐る。嫌われるのを恐れる。中々変われない。
相手の感情に争いの雰囲気を感じ取ると、全力で回避していた。
子供の頃、テストの結果が悪かった時は親に見せず隠した。
出来ない自分が露見するのが嫌だった。
ペトロがイエスを3度知らないという場面、共感してしまう。
変わりたいのに変われない。
ペトロが伝えてくれているのは、「あなたはもう偽りのない兄弟愛を抱いている」というメッセージ。
自分は恐れてしまう。
「イエスの愛で深く愛しなさい、あなたこそその兄弟愛を持っている人。」
ペトロはそう伝えてくれているのに、自分の思いに留まっていたら自己中心。
自分の中で何があなたを愛することを躊躇させていますか?
そこに留まり続けないように、イエスから貰った兄弟愛で熱く愛し合いましょう。
ポイント2:永遠に変わらない言葉で生きる
もう一度この聖句を読みましょう。
1ペトロ1:22-25
正直わかりにくい。混乱してしまう。
朽ちない種という表現、あまり普段使わない。
1ペトロ1:24-25は、イザヤ40:6-8の引用。
花が散ると聞くと、日本では桜を思い出すと思う。日本は湿気が多い。枯れる。
イスラエルは砂漠気候。ステップ気候。
寒暖差が激しい、降雨が少ない。
一雨あると、草の小さな緑の芽が咲きそうになる。
しかし、暑くなると草花は、枯れるだけではない。
熱風で焼かれ、草木が一掃されてしまう。
日本は暑いが、草木が枯れてなくなるわけではない。
イスラエルでは、花が咲いていても、痕跡すらなくなってしまう。
強烈な、無慈悲にも見える風景。
それを対比させた。
「朽ちない種から新たに生まれた」「種=変わることのない生きた言葉」
神様から見た時、生きた言葉から私たちは生まれている。
枯れることはなく、萎れない。
それが福音とペトロは言っている。
8月、母の命日がある。
お盆、終戦記念日もあり、命について考えさせられる。
今年は、友達が亡くなったというニュースが入って来た。
そして、小出陽平兄弟の昇天があった。
命は尽きてしまう。変えようがない。
そんな中で弟子として励まされることがある。
昨夏、桜木町のランドマークタワーで陽平さんと時間を過ごした。
体調が優れない日々が続く中で、神様への愛を語ってくれ、自分に出来ることはないかと聞いてくれた。
一生忘れない思い出。
彼は天国にいること、いつか行った時に会えること、変わらない希望。
天国の希望は永遠に変わらない希望。
彼は最後まで信仰を守り続けた。
人生から福音が伝わる。
お別れ会の時、家族にも伝わっていた。
1ペトロ1:24-25
人の命はいつか無くなるが、主の言葉は永遠に変わらない。
もし自分の人生が残り3年だと伝えられたら、優先順位は何にしますか?
私は福音をより一層伝えたい。
伝えた相手にも福音の種が残り続ける。
朽ちない種から私たちが生まれ変わったように、そのきっかけを作れる。
種は成長する。朽ちない種は広がる。
福音を宣べ伝えていきましょう。
私たちは福音によって生まれ変わったものだから。
今日の説教タイトルは「永遠に生きる言葉で愛し合おう」、ポイントは以下でした。
ポイント1:兄弟愛で深く愛する
ポイント2:永遠に変わらない言葉で生きる