『神様の栄光を表す生き方』
ジャカルタ教会の30周年とSEAリージョンの会議に参加して、今心は燃えている。
帰ってきたらまさかのコロナウィルスで日本は揺れている。
しかし、雄大さんがビデオメッセージで言ったように、神様の働きを楽しみにしている。
第二コリントの信徒への手紙から学んでいきましょう。
第二コリントの信徒への手紙の背景:
Who パウロからコリントの弟子に
When 55-57年
Whereマケドニアで
What 13章の長い手紙
Why 悔い改めたコリントの弟子をより強め、教えるため。偽教師に対して対抗するため。
How 圧倒的なキリストの力と、パウロ自身の弱さを表現した愛と気遣い
パウロは親のような心で、偽りの教師の教えから守られるように書いている。
等身大の弱い人間である自分をさらけ出している。
涙の書簡→コリントの弟子達の悔い改め→第二コリント
第二コリント2:4
第二コリント7:8-9
ポイント1:落胆しない生き方
2コリント4:1-4
イエスに敵対していた者(パウロ)が今やイエスを宣べ伝える者になった。
パウロは、自分ではなくイエスを宣べ伝えていたので、自分自身には落胆していなかった。
弱くなる、失敗するというギリシャ語の「エカクエホ ek-Kak-eh’-o」の否定形が使われている。
ルカ18:1
心を失わない
落胆しない
諦めない
Not lose heart
パウロは、真理を明らかにすることで人々の良心に委ねた。
それはパウロが落胆しない生き方をしていたから。
この落胆は、希望をなくして落ち込むこと。
どのようにしたら、わたし達は落胆せずに生きられるでしょう?
福音を伝えても、うまく伝わらない。
時には、迫害を受けることもある。
逆に心配されたこともある。
なぜこの神様の素晴らしさが伝わらないのか?
わたしの伝え方が悪いのか?
信仰がないのか?
日本人には難しいのか?
福音に覆いがかかっているのなら、この世の神様=サタンがそうしたと聖書にある。
「この世の神」2コリント4:4
「この世を支配する者」ヨハネ14:30
「偽りの父」ヨハネ8:44
「主権、力、この暗闇の世界の支配者たち」
エフェソ6:12
わたし達はサタンの影響を世で受ける。
これはがっかりしませんか?
どんなに頑張って伝えてもサタンが覆いをかけている。
ではどうしたらいいのか?
パウロが言っているのは、本当に神様に頼っているのであれば落胆しないということ。
わたしは自分の力に頼り、うまくいかずに神様を責めた。
福音の力を失った。心は落胆していた。
それはサタンだった。戦うべきはサタンだった。
マルコ9:29
祈りによらなければ勝てないとある。
しかし、祈りによって勝てるということ。
ジャカルタに行って、祈りの大切さを教えられた。
毎日祈り、QTを取る。毎週断食する。
彼らは祈りを大事にしていた。
祈りでサタンの覆いが取り除かれる。
兄弟姉妹の皆さん、わたし達は祈りで神様に頼りましょう。
わたし達も、パウロのように福音を述べ伝える役割を神様から与えられている。
ポイント2:土の器として宝を輝かせる生き方
2コリント4:7-12
土の器に宝が入っている。
わたし達は土の器。
神様の偉大な力が、わたし達の中から出たのではないということを示すため。
「土の器」(Jars of Clay)
土の器は当時イスラエルでは二束三文で売られていた。
壊れたらまた買い直せばいい。
一方、宝は?金庫があれば金庫に入れる。
名画は価値に見合った額に入れる。
モナリザは大きな防弾ガラス二重で守られている。
常にガードマンが付いている。
宝は見合う高価さがあるものに入れるが、
神様はわたし達という土の器に、イエスキリストという高価なものを入れた。
闇と光
死と命
土の器と宝
パウロは対比表現を使っている。
わたしは自分が土の器と言われてピンと来ない。好きな聖句ではなかった。
自分を無にして弟子として神様の栄光となりたいと思う。
一方で、土偶のように無表情で、神様を表さないようになっているのを感じる。
わたし達はお茶碗になりたいと思い、豪華で金メッキした者になろうとしてしまう。
なぜでしょうか?
神様の前でも、人の前でも。
去年1年自分のプライドが見せられた。
今まで俳優、パフォーマーとしてやってきた。
人と比べて妬んだり、人を裁く。
そのようにしてきてしまった。
不安で一杯だった。
わたしには、恐れずに結果を気にせずに楽しんだ記憶がない。
しかし、最近変えられた。
いい方法を見つけた。
土の器感を感じつつ、喜びを感じる方法:最近、夫婦でイマジェリーをやっている。
これはスキーマ療法の一つ。
妻に、東京芸大の声楽課2次試験で自分の番号がなかったときに戻って、健全な声を聞くように助けてもらった。
悲しい。その後に出てきた感情、恥。
受かると思った自分が恥ずかしい。
自分なんてそんな才能はない。
仁美は、わたしが神様が尊い存在だと伝えてくれた。
数年後、劇団四季に入って、弟子に出会うこと、多くの人に神様を伝える存在になることを伝えてくれた。
ヒビや欠けた部分にわざわざ戻って、土の器でも神様に愛されていると思い出させてもらった。
少しづつ、安心感が出てきた。
人と会っても、相手の心、自分の心がわかってくるようになった。
自分を飾ろうとしていた。
わかっていても、飾らないと自分は価値がないように思って、自分が高価に見えるように、自分を守った。
もうこのような生き方はしたくない。
土の器として生きたい。
むしろ土の器がいい。
そこに神様の栄光が現れる。
わたしは弱い。
でもそれでこそ神様の栄光が現れると聖書は言う。
自分は何者でもないというときこそ、神様も栄光が現れる。
わたし達は感情レベルで助けてもらう必要がある。
わたし達の教会はまだ土の器になれていない。
高価な器になろうとしている。
感情レベルで謙虚に助けてもらいましょう。
頑張ることに必死になるのでなく、助けてもらうことに必死になりましょう。
わたし達は土の器にイエスキリストを入れてもらった者。
ボロボロになればなるほど、神様は現れる。
教会にもコロナウィルスの影響がある。
社会全体が不安。
でもだからこそ、落胆せずに生きましょう。
今こそ、神様の栄光が現れるとき。
救いに対しても、わたし達は課題がたくさんある。
だからこそ神様が現れるチャンス。
先日は地域ミッションデーがあった。
100を超えるグッドニュースがバンバン入ってきた。
どこのチームも友達や会社の人たちが来てくれた。
クリエイティブに良い時間を過ごせた。
神様が祈りに答えてくださっている。
サタンをぶっ飛ばしてくださっている。
落胆しない生き方。
土の器として、宝を輝かせる生き方をしましょう。