『キリストに結ばれた生き方』
中嶋朗雄:
1コリント4:14-18
コリントは東京のよう。
貿易が盛んで裕福な街。
価値観が多様化。
パウロは人を愛し、力強く宣べ伝え、教会を建てた。
しかし、パウロが去った後、教会は多くの問題があった。
分裂やみだらな行い。
そこでパウロはキリストに結ばれた生き方を思い出すように伝えた。
私達にも必要。
In Christ(キリストに結ばれた)
ローマ8:1、39
はじめとおわりに
ガラテヤ3:25-28
Made alive in Christ
キリストによって
キリストに結ばれて
ローマ8:35-39
どんなものもキリストの愛には勝てない。
どういうことでしょうか?
私達はキリストに結ばれたもの。
私達はキリストに勝利しているもの。
私達には傷や問題、ニーズや弱さがあるが、それでも私達はキリストに結ばれた者、神様の勝利がある。
それが in Christ。
質問があります。今日、私達はキリストに結ばれた生き方をしているでしょうか?
本当に求めていますか?
これは、私達に必要なことです。
でも、どのようにすれば良いでしょうか?
パウロはある一つの方法を提示した。
それが今日のポイント:「忠実に倣う」
忠実に真似ること。
コリントの人たちはどうしたら良いのか?と聞いたときパウロは言った。
「私に倣いなさい。テモテに倣いなさい。」
もう一度1コリント4:14-18を読みましょう。
パウロはコリントの人々を愛する自分の子供、自分は父親だと言った。
だから、子供が親を真似るようにと言った。
これは知識やレクチャーではない。
キリストに結ばれた生き方をしたいなら、ただ
倣う(真似る、imitate)ことをしなさいと言った。
真似るというのはあまりいい表現ではないイメージ。
世の中では、人の真似をしたら成功できないとか、自分らしさを出せと言われる。
あの人のある部分は尊敬できるんだけど、
他の部分は…ということはないでしょうか?
私は美大に通っていた。
クラスメイトと話すと、「オリジナリティーが欲しい。個性を表現したい。」とよく言っていた。
私もそう思っていた。
しかし、あるとき先生が「オリジナルを目指すなら、たくさん模写しなさい。」と言った。
模写は元ある絵をそのまま忠実に描くこと。
なぜオリジナルと正反対のことを言うのか?
しかし、模写をすると、本当にどのような絵かをよく見る。発見がある。
人は見ているようであり、ちゃんと見ていないのだとわかった。
コリントの人たちは、パウロのことを1年以上見ながら、自分のことしか見ていなかった。
自分のニーズ、傷、人からの評価、を見ていたかもしれない。
しかし、テモテは違った。パウロに倣い、パウロのように出来た。
18節にはおごり高ぶるとある。コリントの人たちにはプライドがあった。
忠実に真似るには謙虚さが必要。
中村洋介:
私の今年の目標は「倣うようになる」
私は教会を愛しているが、難しい問題に直面しようとすると、恐れや不安、プレッシャーから逃げようとしてしまう。
内向きになり、弟子として生きることが難しくなる。
これからどのように神様のために創り上げるか考えた。
神様は教会の子供達に救われてほしいと確信している。
いまの中学生は10年後、社会人になっている。
キリストに倣う。
これを子供達と、自分が率先してやっていきたいと思った。
私は結果が出せなければ見捨てられる、どうせやっても難しい、そのような思いがあった。
中学生の時、父に厳しくされた傷がある。
努力しても、結果が出せず認めてもらえなかった。
だから自分は、厳しくするのは悪いことというのが染みついていた。
態度が悪い子にも優しく接してしまう。
DPが、それはイエスのようではない、健全ではないと教えてくれた。
イエスは恵みと真理に満ちていた。私は恐れや妥協を子供達に伝えてしまっていたかもしれない。
私は次の決心をしている。
私は難しいことも神様に立ち返って悔い改める。
それを子供達にも伝える。
リードする人たちに倣う。
難しいことがあればリーダーとも相談し、リーダーや親にも真理を伝え、互いに悔い改める。
ユースミニストリーはいま皆で同じ心を持とうとしている。
キリストに倣うのは簡単ではない。
しかし、神様は既に勝利している。
皆で共に創り上げていきましょう。
朗雄さん:
私もシェアしたいです。
数年前から、問題が見えても叱らない、威厳がない、甘やかしている、真理が見えても伝えないと言われ続けた。
何度もトライしたけど、なかなか変われずにいた。
父と母はよく喧嘩していた。
父が少しでも母を指摘すると、母は感情的に手をつけられなくなった。
その怒りの矛先は、幼い自分に向かった。
私は傷つき、指摘すれば傷つけられるから、相手をただ反射的に受け入れるようになった。
結果、相手の罪を許して甘やかしてしまうようになった。
頭でわかっていても、なかなかできない。
もう今までのやり方は駄目だと思い、真理を伝える人をよく観察して、そのまま真似て伝えるようになった。
ある男の子と聖書勉強していた。
無意識にポロっと罪が出た。
私はそれに気づいたが、伝えたら傷つけてしまうという思いが出てきた。
しかし、すぐその思いを改めた。
いま真似ている人のとおり、真理を伝えたら、彼は罪に砕かれた。
大きな悔い改めがあり、神様との関係がすごく深まった。
私は感動すると同時に過去の自分の罪を実感して刺さった。
その男の子は、私を含めた大人達の生き方に惹かれて、イエスのように生きたいと燃えている。
私達が頭でわかっているのと本当にそのように生きるのは違う。
本当に私達がキリストに倣ったら教会はどれほど変わるでしょうか?
キリストに結ばれた生き方をしたら、過去の傷や弱さに囚われなくなる。
この生き方は自分を捨てて忠実に倣うことでしかできない。
今日わかっているけど、変われないことは何でしょう?
謙虚に倣う、自分を捨てる、教えてもらう態度。
倣う部分を自分で選ぶのではなく、全てを捨ててください。
キリストに結ばれた道、より多くの人に福音を伝えられるようになる。
今日の説教は『キリストに結ばれた生き方』ポイントは『忠実に倣う』でした。