『神殿を壊そう』
教会が新たなステージに行こうとしているとき、最も大切なのは神様に立ち返ること。
最近、個人的にイエスは本当に何を伝えたかったのか?ということをたくさん考えている。
特にイエスの最後の一週間について学んでいる。
福音書は、最も多くの章を最後の週に割いている。
マルコ11章から学びましょう。
マルコ11:12-24
いちじくの木と神殿の話。
最も厄介な聖句。
今まで説教で、今まで触れたことがない。
月曜日にイエスは神殿に行くときに、空腹を覚えられた。
いちじくの木に近づいたが、実がなってなかった。
季節ではなかったから。
イエスはいちじくの木を呪ったら、次の日にいちじくの木は根元から枯れていた。
えー?と思ってしまう。
いちじくの木はそこに立っていただけなのに。かわいそう。
ポイント1:神殿を壊そう
先週は、「立派な志で神殿を建てよう」だったのに今日は壊そうというポイント。
マルコ的書式で書かれている。
二つの場面を重ねて書く。
A →B →A’
いちじくの話→神殿の話→いちじくの話
会堂長→ ヤイロの娘 →会堂長
どちらも娘がいるという共通点。
2つの場面を重ねて、同じポイントを強調して伝える。
いちじくと神殿の話は繋がっていた。
神殿の境内で、商売をしている人たちを怒った。
しかし、そのイエスに対して、祭司長や律法学者は怒っていた。
イエスは神殿を清めたと書いてある。英語の聖書でも。
しかし、これは清めた以上のことだった。
実は神殿で商売や両替は、当時合法だった。
一部の売り上げは祭司長や律法学者に行った。
つまり、一部の特権階級にお金が流れるシステムだった。
イエスは、それ自体を大胆に壊した。
本当のリーダーなら喜んだかもしれないが、それはリーダーたちにとって、不都合な真実だった。
「強盗の巣にした。」エレミヤ7章から来ている。
神の町シロが破壊されていることを強調した聖句。
つまり、もともと神様のために用いられるために造られたものであっても、そうではなくなった。
神様の妨げになったら、神様はそれを滅ぼすということ。
いちじくも同じ。
神殿といちじく自体は悪くない。
今日、人生を振り返り、なにか神様に妨げになっている、壊さなければいけないものはないでしょうか?
もともとは悪くなく、神様のために用いて来たものかもしれない。
例えば、この教会。20年いて、飽きることがない。素晴らしい。
ただ、わたしたちがここにただ留まって、何もしないのなら、壊すべき。
神様との時間。
マンネリ化してただ取るようにしていて、無意味になっていたら?
夫婦関係、子供との関係。。。
なあなあにしていたら、簡単に流される。
教会もそう。
生い立ちや性格かもしれない。
わたしたちは、神殿を壊さないといけない。
最近、自分の近い人との関係で、ずっと明らかになっていなかったことが明らかになった。
こんなことを抱えていたのはショックだった。
知らなかった。
これを抱えていたら、神様の前で自由ではない。
しかし、神様はそれを破壊する方。
神様は神殿を壊してまでも、わたしたちとつながりたいと思ってくださる方。
わたしたちは多くを中途半端にする。
ぜひ今日、妥協せずに神様との関係を妨げるものを破壊しましょう。
お互いが羊飼い。神殿が腐敗していたら、健全な怒りを持つべき。
ポイント2:神を信じる
では、神殿を壊したら、どうしたらいいのか?
マルコ11:20-25
火曜日の朝に行ってみると、いちじくの木は枯れていた。
イエスは壊すメッセージの後にどうすべきかを一言で答えている。
それは「神を信じなさい。」
神を信じる→山を動かす(比喩的)
神様を信じるのは、山をも動かす信仰。そのとおりになる。
縛られたり、捕らわれたりする生き方ではなく、先のことが信じたことが実現していく生き方。
聖書は約束の書物。一番少なくて3千個、多くて3万個約束が書かれている。
丹念に調べた方は8千個の約束と言っている。
神様を信じる生き方は、問題ではなく、約束を見る生き方。
少し前に、自分は過越祭を家でやってみた。
子供たちにも知ってほしいという思いがあった。
コンパクトバージョンで1時間で行った。
食べたら、祈る。
子供たちに飽きないようにプレゼントを隠す。
実際に、やってみた。
「いいですか、子供たち。この部屋にプレゼントが隠されています。見つけたら、あなたのものです。」
子供たちはエキサイトした。
パパとママが裏切らないと知っている。
大人もトレジャーハンティングが大好き。
まだ見ぬものを信じて、生きる
わたしたちはほんとうに神様を信頼しているか?
神様の約束を信頼して生きていきましょう。
先週は、感動的なバプテスマがあった。
彼女は愛なんて存在しないと思っていたと言った。
でも、人生が変えられた。
今は愛する人生を選んで、約束の人生を楽しみにしている。
今年の2月にある男子学生が来た。
一人で生きていきたいから、誰とも関わりたくない。
自由に生きたいと言っていた。
自由に見えたが、自由ではなかった。
2年かかった。
彼は、1ペテロの聖句を自分のテーマ聖句にしたと言ってきた。
神様の僕でいることが本当の自由だと分かったと言った。
今日その学生がバプテスマを受ける。
今日、神様の妨げになる神殿を壊して、神様を信じる決心をしましょう。