『詩編の力』
もう立ち上がれることができない、希望がない、どうすることもできない・・・。
そんな中でどうやったら希望を持てるか?
詩編はあなたを助けることができる。
罪から、弱さから救ってもらえる。
わたし達はこの半年、詩編から学んでいる。
皆さん、QTはどうですか?
詩編のQTシリーズは素晴らしい。
兄弟のSGLや学び会でシェアし合っている。
とても励まされる。
何人かは2周目に突入している。
今日は詩編118編から学びたい。
ユダヤの過越祭のハレル詩編の一種。
国によって地域によって、お祭りで歌う歌がある。七夕の歌とか。
ユダヤ人にとってこの詩編は馴染み深いものだった。
子供のときから歌、詩、感情に乗せて、意味がわからなくても歌っていた。
オリジナルで作ることもできる。
聖書にありながら、人間が神様に向かって作った歌、それが詩編。
「慈しみはとこしえに」
4回出てくる。
これはソングリーダーのような曲をリードする人がいうと、民達は同じように答える。
コール&レスポンスのよう。
ポイント1:主こそわたしの避け所
避難する、逃げ込む場所、あなたはどこですか?
神様ですか?それとも?
上司に責められたとき、お財布を無くしたとき、学生だったら赤点取ったとき、失敗したとき、人間関係の喧嘩等・・・。
ある人にとってはお酒、またはスイーツ、友達と愚痴を言い合う、テレビや映画をみる、寝る、自分を責めるかもしれない。
社会に生きていたら誰にでも当てはまること。
詩編は、神様こそ避け所という。
詩編118:1-9
詩編で一番多いのは嘆きの詩編。
詩編はけっこう嘆く。日本人としてはこんな風に言ってしまっていいの?と思うこともある。
でも、詩編は、正直に出していいという。
誰よりも、神様に心を出すのを、神様はよしとしてくださる。
わたしは幼少期からのいい子ちゃんフィルターを除いて正直なオリジナル詩編を作っている。
一番正直なものを神様に出そうとしている。
何度も詩編を読む中、パターンが見えた。
1.神様に正直な思いを全て打ち明ける
2.聖句を通して神様の思いや、してくださったことを思い出す
3.状況はかわらずとも希望を持っていく
わたしは長年1と2をすっ飛ばして3へ言っていた。
神様との関係が上司と部下の関係のよう。演出家と演者のよう。
3だけだと、厳しくなって途中でできなくなる。
2からスタートする人もいる。
がんじがらめになって苦しくなる。
1と3で2が無いと、赤ちゃんが武器もなく戦うようなもの。危険。
あなたはどのパターンを冒しがちでしょうか?
もし、神様を避け所としなければうまくいかない、健全ではない。
あなたは、神様を一番にする戦いを必死で戦っていますか?
人に甘えてばかりの人は甘え続ける。
人に頼られる人は頼られ続ける。
そのような共依存はありませんか?
正直に、教会で目につく。
甘えてきた人は、まず神様に頼りましょう。
霊的に、神様に頼って自立しましょう。
ポイント2:苦難の王
詩編118:22-24
過越祭に歌われた。
マタイ26:26-30
一同は賛美の歌を歌ってからオリーブ山に行かれた。
この118編を歌われたのではないかと言われている。
最後の晩餐を終え、数時間後には十字架にかかる。
どのような気持ちでイエスは歌ったのかを知りたいと思う。
隅の親石は、要石、コーナーストーンといわれる。
建築では先に置いて、基準とする石。
一番大事。王様の石。
マタイ21:42
使徒4:10-11
詩編118の背景:
イエスの1000年前、ソロモン王の神殿を建てる時代、石切場と神殿を建てる場所は別々だった。
石は運ばれた。パズルのように組み立てられた。
石には情報や場所が記されていた。
ある石は印がなく、余分だと捨てられた。
石切場に連絡したら、捨てた石が親石だったと言われている。
それがこの詩編になったという。
どの石よりも必要とされていなかった石が要石となった。
イエスも、祭司長、律法学者たちから捨てられたが、教会の礎になった。
なぜ一番大事な石が無残に扱われたか?
一番大事に扱われるべきではなかったか。
ヨハネ1:1-3、4
言はイエスだった。
イエスは世界の要石、本来一番偉い方、王。
なぜ彼が罪もないのに、苦難を背負いぼろぼろになって、十字架につかなければならなかったのか?
王であるゆえ、わたしたちのため、十字架についた。
普通の人を助けるため、普通の人になった。
苦難にある人を助けるため、ボロボロになった。
それは、あなたのための計画だった。
死にうち勝ったイエスは復活した。
わたしたちはそこから力を得る。
先週バイブルトークをした。
アラジンをいっしょにみて、友人たちに窓口を広くしている。
あなたなら、3つの願いはなんですか?
わたしにパッと浮かんだ正直な願い:
自分にも聖書的知識がほしい、と思った。
人の心がわかるようになりたいとも思った。
自分が無力、足りないと思うこころ。
昨年10月からフルタイムスタッフにさせていただいた。
その中で思うようにいかず、悔しい、怖い、立ち上がれないような気持ちになることがある。
でも、苦難の王であるイエスが、わたしに力を与えてくださる。
イエスは勝利の王。
どんなに暗闇でも、その先に栄光と光があるから歩ける。
思いもよらない試練はなぜ起きるか、天国に行くまでわからない。
でもイエスの道に沿って歩く時、苦難はだれかを助けるものに変わる。
勝利がある。
今日の説教は
『詩編の力』
ポイント1:主こそわたしの避け所
ポイント2:苦難の王
でした。