『主は羊飼い』
今日も詩編から学びましょう。
詩編23
もっとも有名な詩編と言われている。
ポイント1:神様は羊飼い
ポイント2:わたし達も羊飼い
この2つのポイントから話したいと思います。
【賛歌。ダビデの詩】
王になる前に羊飼いだったダビデ。
作詞作曲の才能もある。琴も上手。
戦いにも長けていた。イスラエルの黄金時代を築いた王。
歴代一の王。約1000BC頃。
エッサイの末っ子。ユダ族、イエスの先祖。
ゴリアテを倒した英雄。
8人の妻と子孫。
東京で日々忙しいわたし達にとって、この詩編23編は癒される。
わたしは8歳から18歳までハワイで育ったので、いまこの渋谷にいるのが信じられない。忙しい。人は多い。
ポイント1:神様は羊飼い
伝道者以外に牧師という言い方がある。
どのようなイメージが用いられていますか?
1 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない
満足。満たされている。
わたし達は一人では生きられない。
羊はときに道に迷う。食べてはいけないものを食べる。愚か者。
群から離れて戻される必要があるときもある。
わたし達も同じ。
4 死の陰を歩むともわたしは災いを恐れない。あなたが共にいてくださる。
状況としては穏やかではない。
わたし達は間違ったもので埋めようとする。
食べ物、ショッピング、娯楽、快楽、支配、
クリスチャンは、人間関係で仕えて満たされようとする。
しかし、根本的に神様を求めることでしか満たされることはない。
すごくマッチョな人があなたのお父さんだったら?
教会の牧師だったら?
いじめられても、お父さんが守ってくれる。
実際にエストニアの教会の牧師さんが、先日来日。
彼は、310.5kgのベンチプレスの大会の50代の部門で金メダル。世界記録を作った。
この方よりもはるかに強い神様が味方
羊飼いの棒と杖の役割:
・羊が悪い食べ物を食べるとき
・「いじめる」羊を戒める
・皮膚の病気を探す
・絡まっている羊をほぐす
・寄りかかって休む
5わたしを苦しめるものを前にしてもあなたはわたしに食卓を整えてくださる。
油を注ぐ=王様扱いしてくださる
つまり、王様はあなたがいっしょにいて、わたしはハッピーだということ。
神様がもてなしてくださる。
6命のある限り恵みと慈しみはわたしを追う。生涯そこにとどまる。
どのような状況でも神様がともにいてくださることで大丈夫。
わたしたちはなにかあったとき、まず人に頼りませんか?
それとも、神様にまず祈りますか?
わたし達は人に頼りやすい、人から賞賛を得ようとしてしまう。
職場で、家族で、一人だけクリスチャンで戦うことがある。
自分だけ辛く感じる。
しかし、神様が羊飼いなら、怖いものはない。
ポイント2:わたし達も羊飼い
第1サムエル16:18
音楽の才能があり、戦術も心得ており、言葉に分別があり、外見もよく、主とともにおられる人だった。
この中で残るものは何でしょう?
歳取れば楽器も弾けなくなる。戦争も出来ない。外見も変わる。
主とともにおられることが最も大事なこと。
使徒13:22
神様の心に適う者
神様の心を見習うことが一番大事。
どのように?
神様はダビデの心をみて、わたしと同じ心だと言われた。
神様はわたし達の心はどうですか?
年齢を重ねると元々の性格が出やすい。
でも希望は、神様から見習うことができるということ。
ダビデは神様から学び、ディサイプルされた。
ただ困った時の神頼みをすることは、神様から学ぶことではない。
明日、ほとんどの人は会社や学校へ行く。
イライラする状況、上司、満員電車。
そのときに、神様と歩んでいますか?
誰があなたの羊飼いですか?
気をつけないと自分が自分の羊飼いになる。
自分の感情に任せるのはほんとうの羊飼いではない。
神様の心に見習っている人は、全員羊飼いです。
では、あなたは具体的に誰の羊飼いですか?
わたし達はこの点で変わらなければいけない。
全員ではないが、ある人々は頼り甲斐がある人に助けてもらって依存する傾向がある。
誰にでも弱さやニーズがある。
全員が助けることができる羊飼い。
けれども、自分は弱いからできない、戦っているからできない、という人がいる。
しかし、わたしたちは誰かの羊飼いでないなら、悔い改めてください。
別に大勢の羊飼いにならなくてもいい。
状況的にあまり出来ないこともあると思う。
しかし、誰かの羊飼いになることは出来る。
家族、小グループ、近所の人?
誰でしょうか?
いま、羊飼いは機能していない。それができている一部の人は疲れ果てている。
誰かに集中するのはよくない。
メタノイアしていきましょう。
詩編78:70-78
アサフの詩。アサフはダビデの部下
正しい心で彼らを牧し…
正しい心:
直き心(口語訳)
無垢な心(新共同訳)
真心(現代訳)
Integrity of heart (KJV, NIV, YLT)
つまり、誠実、正直な心で牧していた。
アサフ にとってダビデはどのような指導者だった?
ダビデはしもべであった上で指導者だった
ダビデは神様と同じ心で牧会した。
あなたは、純粋な動機で仕えていますか?
教会での姿と、家・会社においての姿は同じですか?
教会ではクリスチャンモードが入りニコニコしていても、家では態度が悪い。
それは嘘つき。子供はクリスチャンにはならない。
第1サムエル16:34-36
彼は仕える者だったから、王様になった。ゴリアテを倒して英雄になった。
しかし彼は目立たないところで、神様に頼っていた。
羊飼いだったときに、人が見ていないところで狼やライオンと戦った。
準備、トレーニングしていた。
皆さんはしもべの心がありますか?
多くの人は「はい。」というと思う。
しかし、仕えることが隠れ蓑になる。
心に不満があり、自己満足のためにやっていたら、それはしもべの心ではない。
ダビデは素手でライオンや熊に立ち向かった。
わたし達は勇敢になる面でメタノイアしなければいけない。
怖くても、ほんとうのしもべなら愛しているから伝えにくいことも伝えるべき。
勇気を持って、尊敬をもって愛を持って謙虚に語る弟子同士の関係は素晴らしい。
先日、ティーンのワーカーの姉妹が、あるお父さんに、娘に対する乱暴な言い方をやめてほしいと伝えた。
彼女は怖がっていた。その前にわたしに相談に来た時に泣いていた。
でも勇敢に、その方に伝えた。
彼もまた受け取る謙虚さがあった。
あなたは羊飼いですか?雇い人ですか?
見分けるのが難しい。
わかるのは危機的なとき。
危なくなると雇い人は逃げる。
自分しか愛してないから。
ほんとうの羊飼いは逃げない。
あなたが羊飼いとして神様に呼ばれていることを、今日思い出してください。
カラカラのときも、神様が共にいてくだされば大丈夫です。
ぜひ一緒に神様の羊飼いについていきましょう。
神様を見習ってよい羊飼いになりましょう。