『勝利の主』
最近は勝利と敗北のニュースに溢れている。
今日の説教テーマは「勝利の主」。
1サムエル17:41-48
この聖句は2019年、個人的に読んできた聖句の中で一番心砕かれ、刺さっている。
神様は必ず導かれ、勝利することを確信する聖句だから。
わたし達は今日それを確信しているでしょうか?
偉大な神様は、今日働いているでしょうか?
イスラエルとペリシテは敵対している。
身長が3m以上もあるゴリアテが登場する。
皆恐れて戦おうとしなかった。
戦えば命を失う、民が奴隷になるリスクがあった。
人々は恐れていた。
「あんな巨人には絶対に勝てない。」
「自分は責任を取れない。」
希望は無く、先が見えない。
ダビデただ一人が立ち上がった。
今日のポイント:「ゴリアテを見ず神様だけを見る」
体格だけみたら勝てない。兵士としての経験もゴリアテが上。ダビデは、羊飼いの少年だった。
巨人vs少年。
誰しもダビデが負けると思っていた。止められた。
杖を持ったダビデに、ゴリアテは「わたしは犬か。」とツッコミを入れた。
ダビデは剣を持っていなかった。
ダビデしか神様を見続けていなかった。
彼だけが恐れていなかった。
ダビデだけが別次元にいて、必ず勝利を与えてくださる神様を見続けていた。
「お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。…」
ダビデは一切の疑いも無く信じていた。
わたしたちにとっての信仰の戦いがあったとき、わたし達は神様の勝利を信じていますか?
ゴリアテを見たら力を失い、信仰がなくなる。
ダビデは勝利する神様を心から信じる戦いをした。
わたし達がゴリアテでなく、神様を見たとき、神様は必ず勝利を与えられる。
ゴリアテを倒すことに必死で、神様を見るのを忘れていないか?
この日本は多くのゴリアテに溢れた社会。
わたしがこの聖句に刺されたのは、誰よりも神様が勝利する信仰がない者だから。
この日本で福音が伝わることを心から望んでいたが、信仰ではなく、ただ期待していた。
頑張って、神様が働くことを期待するだけで、
本当に日本の地で神様が働かれることを信じてはいなかった。
心のどこかで、この人に神様を伝えることが本当に恐ろしい。
友情が壊れたら?伝わらなかったら?
わたしはこのイスラエルの民のようだった。
神様は何度も勝利と奇跡を与えてくださったのに、わたしは信じていなかった。
期待するだけで、本当には信じていない。
そのことに直面した。このダビデを見て悔しかった。
昨年バプテスマが少なかった。神様の働きが見られず、純粋に悲しい。
だからこそ変わりたい。
神様を心から信じる信仰に変わりたい。
ダビデとイスラエルを導いたのと同じ神様がわたし達と共にいてくださる。
恐怖を与えるゴリアテでなく共に神様を見て進みましょう。
1サムエル17:49-54
ダビデはゴリアテに勝利した。
ゴリアテは当然剣か槍で戦うと思っていたに違いない。
ダビデはしかし、石と石投げ紐を使った。
改めて、ダビデがゴリアテに勝ったのは当然と思った。
体格差があった。初めて読んだとき、飛び道具を使ったのには驚いた。
男の子の気持ちとしては剣でカッコよく戦って欲しかったと思ってしまった。
ダビデ、ちょっとずるくないか?と。
しかしよく考えたら、石が当たらなかったらリスクがあった。
彼は、神様に信頼してベストを尽くして勝った。
彼は投げることしかできなかった。
石が当たるかは信仰。
神様が石を当て、必ずゴリアテを倒してくださる。
神様はわたし達に同じことをしてくださるのではないでしょうか。
わたし達が持てるベストを神様に捧げましょう。
信仰を持って共にベストを尽くしていきましょう。
神様は必ず勝利を与えてくださいます。
この東京の地で働かれる神様の勝利を見ていきましょう。
皆さんのことを愛しています。