『神様はどのような方か?』
みなさんにとって神と科学シリーズはいかがでしょうか?
一貫したメッセージがあったと思う。
それを分かち合いたい。
私たちは神様を信じている。
私たちはどのような見方で神様を見ていますか?
信仰が大好きな神様、恵みの神様、色々あると思う。
ルカ18:1-8
やもめと裁判官のたとえ。
今日のポイントは一つです。
「神様の見方を変えられる。」
この聖句は私にとって、頑張ることを求められる聖句ではない。
神を恐れない、この裁判官に担当されたら難しい。
この裁判官はローマ人の裁判官と言われている。
ユダヤ人を裁くのにはお金がかかった。
やもめはすべての貧しい人の象徴。
彼らにお金は払えない。
しかし、やもめはしつこかった。裁判官に、しつこく求めた。
うるさくてかなわないことを、原文では「目を潰されてしまう」とまで表現されていた。
根負けして裁きを行うことになった。
裁判官は貪欲で、神様の性質とは全く異なる。
私たちの神様はどのような方か?7節に書いてある。
神様は、清さ、力強さ、愛に満ちた神様。
敵対している時から、私たちに関わりをもってくださった。
私たちはやもめのように弱い立場。
私たちは見ず知らずのやもめではなく、一人一人が選ばれた民。
私たちを神様は放っておかれる方ではない。
神と科学シリーズ、感動した。イエスの弟子として。一人の作られた人として。
西博士、科学は変わるけど神様は変わらないことを教えてくれた。
袴田博士、医学が進歩しても人が祈り頼るのは神様であることを教えてくれた。
オークス博士、新約聖書から旧約聖書まで一貫したメッセージがあり、宇宙は神様がいないと成り立たないことを教えてくれた。
このシリーズから確信したことは、神様はもっと偉大で信頼に値することを学んだ。
私たちはその神様を信じているので、変えられる。
もっと多くの人が信じて救われると確信を深められた。
信仰は、私達が何者か状況はどうかではなく神様はどのような方かが大事。
わたし達は今日どのような神様を見ていますか?
オークス博士は、リーダーがどうとか、人はどうとかではないと言っている。
神様は変わらない。イエスの十字架があれば十分。
神様がどのような方であるかにフォーカスすることが大事。
自分に問いかけましょう。
私たちはどのような神様を見ていますか?
私は簡単に神様を裁判官のように見てしまう。取り合ってくれるまで頑張らないといけないと。
そうしないと奇跡が起きない。物事が上手くいかない。
頑張っているという思いから、苦々しくなる。人を裁く。
助けを求めない。アドバイスを求めなくなってしまう。
最近、キャンパス内で姉妹と比較してしまった。
姉妹は聖書に興味を持つ人が与えられているのに、兄弟はスタッフがいるのに、結果が出ていない。もっと頑張らないといけない。
いつの間にか、神様が努力を求める方になってしまった。
神様は努力を求めると間違った見方をしてしまう。自分で神様を小さくしていた。
そのとき、この聖句が心に刺さった。
神様は裁判官のようでなく、一番与えたい方。
努力ではなく、信仰を求める神様。
イエス・キリストの予示された形:
旧約聖書に出てくる多くの人物がイエスを示している。
彼ら自身、役者だが何を演じているのかわからない。
彼らは、どれだけイエスがすごいかを示している。
メルギゼデク: 大祭司
義の王、平和の王。
イエスこそ人を義としてくださる方。
ヨセフ: 王の右腕・奴隷
彼は父の右腕から、エジプトに奴隷として売られた。最終的には王の右腕になった。
イエスも神の右腕から人として十字架にかかり、復活して王の右の座についた。
モーセ:王の一族
王子の身分を捨てて一般人となり、イスラエルの奴隷を救う。
イエスも神の身分から奴隷となり、私たちを救ってくださった。
ダビデ:ベツレヘムに生まれた羊飼い。
そこからエルサレムの王になった。
イエスもベツレヘム生まれの愛に満ちた羊飼いからエルサレムの王となった。
ヨナ:預言者
ガリラヤに生まれ、嵐を沈め、異邦人に救いをもたらした。
イエスも同じ。ガリラヤに生まれ、嵐を沈め、異邦人に救いをもたらした。
彼らは自分が何をやっているか知らなかった。
素晴らしいのは、イエス・キリストはこれら全ての人を組み合わせた方であること。
このような方が私達の王。父。
私たちの王に全ての預言が詰まっている。力強いイエス。
私たちは選ばれた民。王様のすることは、民を守る、幸せにすること。
王であるイエスが守ってくださったら、私達はどれほど安心な国に住む幸せな民だろうか。
それにも拘わらず、なぜ私たちは不信仰になるのでしょうか?
問題に目が行くからでしょうか?
神様の見方が間違っているからです。本物の神様を見ていないから。
私たちが変えられるべきは、神様の見方。
それで信仰が変わる。
気を付けないといけない。私たちは信仰を求めている。
でも、小さい神様を不信仰で見つめたまま信仰を持とうとしてしまう。
信仰をパワープレイで持つ。
でもこれは、根本的な解決にはならない。
神様がどのようなことを知るのが解決。
西博士、袴田博士のような立派な方が同じ教会にいること、誇りに思う。
特別礼拝、カウントダウンから全てが素晴らしかった。
平均45人の訪問者、素晴らしい勝利だった。
個人的にも神様の見方を変えるきっかけになった。
自分の個人的な友達を誘い、話を聞いて欲しい、聖書を読むきっかけにして欲しいという思いがあった。
何人かの友人が来てくれた。
初めて教会に来て、感銘を受けて、「また誘ってください。」と言ってくれた友人がいた。自信を持てた。
そして、教会にもともとよく来ていた別の友人がいた。
サッカーW杯日本戦を全試合教会で一緒に観戦した、社会人の友人。
彼が「神と科学」の1回目に来てくれた。
彼は留学経験があり、キリスト教に触れていた。でも聖書は読んでいなかった。
そんな彼が「想像していた教会とは違った」と言い、夕方17時まで教会にいてくれた。
先日は我が家に来てくれて、「宗教が日本にないのは不思議」と言ってくれて、来週から聖書を一緒に読むことになった。
神様は私たちにたくさん働かれている。
神様の見方を変えましょう。
そうすれば、変わる。
神様がどのような方か聖句を読みます。
ローマ8:31-35
神様がどのような方か表す聖句。
38節には「私たちが神様のためにいるならば、誰も私たちに太刀打ちできない。」と書かれている。
この世界を作った神様が私たちの味方。
神様は独り子イエスを惜しまず十字架にかけられたほどに、私たちに与えたい神様。
私たちが何者か、神様の偉大さを覚えましょう。