「Love of the Father(父親の愛)」
今日は父の日なので、父親の愛というテーマで話したいです。
まず、父親の皆さんお立ちください。
父親の皆さんに感謝を伝えたいです。
私は15歳のとき、家を出ました。
その後、身の回りのことを全部自分でやっていました。
妻は13歳のときに家を出ました。
苦労して、移り住みながら自分の生活をケアしました。
15歳のとき、妻と会いました。
お互い、親の模範が良くなかったから家を出ました。
私の家は家庭内暴力、麻薬の使用がありました。
15歳のとき、この生活は嫌になり家を出ました。
妻の家は、父親がいたことがありませんでした。
お金も電気もない生活でした。
当時、神様を知らない私たちは結婚し、数年後に妻が妊娠して子供が出来ました。
自分たちの生活もままならない中、人生が悪循環に陥っていきました。悪くなる一方でした。
更に子供が出来ました。
なぜ、それでも一緒にいたかわかりません。
とても夫婦関係は悪かったです。
子供がいたから別れずにいられたのかもしれません。
そんな中、出会った人が神様について語り始めました。
狂っている、と思いました。
でも、彼の言葉が頭から離れませんでした。
聖書を買わないといけないと思いました。
一日4時間聖書を読みました。
妻も読み始めました。
共に人生を共有出来る、教会の家族を探す必要があると考えました。
聖書通りに生きている教会を探しましたが、聖書から離れている教会が大半でした。
なぜかわかりませんでした。
クリスチャンの人に「なぜ、クリスチャンなのに聖書通りに生きないのか?」と質問したこともありました。
アメリカには4万の宗派があります。
アメリカ人、多くの聖書を読んでいる人がいるのに、なぜ聖書通りに生きないのか不思議でした。
そんな中、聖書通りに生きているグループを発見しました。
でも、近くにはまだいませんでした。
一度彼らがいるところに行った後、オハイオに到着することを期待しました。
そしてオハイオにミッションチームが送られたとき、参加しました。
彼らは聖書通りに生きる意味を私たちに教えてくれました。
今まで聖書を読んで断片的に得てきた知識が繋がりました。
数ヶ月後、バプテスマを受けました。
当時娘は7歳と4歳でした。
二人とももう結婚し、フルタイムミニストリーにいます。
もう孫もいます。
次女の家族は、ヨーロッパのキャンパスを建てるために移住しました。
彼らがやっていた40人のミニストリーが200人になっていましたが、ゼロからやり直すことを選択しました。
そして最近、オハイオの教会で彼らを雇ってキャンパスミニストリーをリードして貰うことになりました。
娘が同じ教会にいることは、チャレンジでもあります。よく厳しいことを言われます。
次女は元々、獣医を目指していました。
人を相手にするより楽だから、と考えていたのですが、神様の計画は違いました。
サンチェス夫妻、数か月前に再献身しました。
日本にいた間に彼らに愛を示してくださったこと、感謝しています。
今日、無条件に私たちを愛してくださる父、神様がいることをおぼえましょう。
ポイント1:神様の愛は不完全
ローマ5:6-10
私たちが神様にとって敵であったとき、神様は私たちに愛を示してくださいました。
私たちが最悪の状態の時に愛してくださいました。
神様の愛という言葉、見返りを期待しないアガペの愛。
敵であったにもかかわらず、私たちを愛してイエスを十字架にかけてくださいました。
神様にとって、私たちが友になる期待はありませんでした。
神様はこれ以上愛せないほど、私たちに愛を施してくださった。
誰かが誰かを愛したとき、愛された側が愛さなければ愛は不完全。
あなたは、誰かを愛したにも関わらず、思うような相手からの反応がなく、がっかりした経験があると思います。
神様は、私たちが愛するかは期待せずに愛してくださった。
私たちが神様を愛するときは、同じように愛さないといけません。
ポイント2:神様を愛する
1ヨハネ3:16
神様は、私は皆を愛するとおっしゃってくださいます。
そして私たちに互いに愛し合うことを命じています。
あなた方は神様を見えますか?
右、左の兄弟姉妹を見てみてください。
お互いへの愛を示すことによって、神様の愛は見えます。
命をささげると、神様の愛を見られる。
神様を愛する最も素晴らしいやり方は、誰かと共に神様を愛すること。神様を分かち合うこと。
神様はこの世を心から愛しています。
でも、人は自分のやり方で愛そうとします。
神様のやり方で愛するべきです。
私たちは毎年の妻の誕生日に、ディナーを食べて映画を見ていました。
私の誕生日は、妻がプレゼントを用意してくれていました。
これを30年やっていました。
でも今年、「私はディナーの後の映画は好きじゃない。映画好きなのはあなたでしょう」と言われました。。。
私も、「プレゼントは好きじゃない」と言い返しました。。。
私たちは、相手を愛しているつもりでも、自分の好きなものを提供しただけでした。
誰かを愛することは、その人のために命をささげることです。
神様は皆さんのことが大好きです。
神様は、道端の人でも誰でも愛している。
神様が愛する人々を愛することが、私たちにとって重要です。
私たちが傷付くことなく、無条件に愛することは出来ません。
ポイント3:私たちの神様への愛
ヨハネ21:15-19
これは個人的な大宣教命令です。
イエスはペテロに三度、「私を愛しているか?」と質問します。
あなたの目の前にイエスが登場し、「私を愛しているか?」と聞かれたらどう答えますか?
イエスは無条件の愛「アガペ」の意味でペテロに質問しています。
ペテロは友達の愛「フィレオ」の意味で「愛しています」と答えます。かみ合いません。
3回目、イエスは友達の愛「フィレオ」に言葉を変えました。
神様は、私たちが今いる状態の中で受け入れてくださる。
そんな私たちでも「私の羊を飼いなさい」と言ってくれる。
神様の愛において成長したいなら、神様の民を養う必要があります。
御言葉を宣べ伝え、貧しい人に施しましょう。
友達レベルでも愛し合えば成長出来ます。
ヨハネ21:20-22
皆さん、ヨハネをイエスが特別に愛した理由は分かりますか?
イエスはひいきはしない。ヨハネ自らが「イエスの愛した弟子」と表現しています。
私は結婚していて、妻を無条件に愛すること、見返りを求めずに愛することが必要です。
私が彼女を愛せば愛するほど、彼女も愛してくれます。
ペテロは友達としてイエスを愛していました。
私と妻は友達の愛では上手く行きません。もっと深く愛し合う必要があります。
ヨハネは無条件にイエスを愛していました。ペテロはそれを知っていました。
ペテロは思わず「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と聞いて、彼の中に世の中的な考えがあることを明らかにしてしまいました。
皆さんに質問したいです。あなたは神様を無条件に愛したいですか?
愛せば愛するほど、神様が分かります。
無条件に愛するよう、神様は呼び掛けてくださっています。
友達のように愛することしかできなくても、「私に従いなさい」と言ってくれます。
イエスは、「自分を捨てて十字架を背負えば神様の愛がわかる」と言っています。
神様はどのように私たちを愛してくれましたか?
神様は、私たちがクリスチャンになれるよう、誰かを送ってくださいました。
神様の家族を与えてくださいました。
神様自身が心を広げてくださいました。
神様が願っていることは、私たちが互いに愛し合うことです。
私は子供の頃、父親像がありませんでした。
息子として父を喜ばすためには、何でもすると思います。
それによって、地上の父に愛を伝えたかったですが、残念ながら私はそのようなことが出来ませんでした。
同じ経験をした人もいると思います。
でも、天の父である神様がいます。
面白いことに、一回を除くとイエスは常に神様をお父さんと言っています。
一度、「神様」と言ったのは十字架にかかって死を前にした時だけです。
皆さんに伝えたいことは、私たちには無条件に愛してくれて、喜ばせることが出来る神様がいることです。
私たちが互いに愛しあうことで、喜ばせることが出来ます。
それを覚えて祈りましょう。