「古い人を脱ぎ捨て新しい人を身に着ける」
寛さん:
エフェソの信徒への手紙4:22-32
コロサイの信徒への手紙3:8-10
新しいことには取り込むが、古い自分が邪魔をしてしまう。
今までの取り組みが台無しになる。
相手に傷が残ってしまう。
状況が悪化する。
例)家庭で自分のリアルな気持ちをリアルに表現することに取り組んだ。
⑴ 毎日自分の正直な気持ちを出すこと
(今日のハイロー、嬉しかったこと、悲しかったこと)
⑵ 毎日相手に対して肯定的な言葉を伝える。
(その人が聞いて励まされる言葉、慰め、共感)
これらの事を努力した後、家族に「最近の自分はどうか?」と聞いてみた。
もちろん自分に褒め言葉が返ってくると100%信じていた。
でも家族の反応は「そんなに変わっていない」。
とてもムカついた。。。
新しいことに取り込むことは良いことだが、古い自分を脱ぎ捨ててないのでそれが妨げになる。
場合によっては相手に傷を残してしまう。
古い自分とは何か?
自分では、自分の視点でしか見ない。
古い自分と新しい自分で綱引きをしている。
多くの場合、古い自分が勝ってしまう。
どうしたら新しい自分が古い自分に勝つ事が出来るか?
助けを求める必要がある。
ディサイプラー、妻(夫)、子供。
あなたはどれほど助けを求める人なのか?
助けてもらう事に対しての必死さ、誰がその模範を示さなければならないのか?
「助けられる」事に関してから学ばなければならない。
晴美さん:
わたしは分かっている、私は知っているという古い皮袋がある
自分の言動が家族を傷つけていると言う事に気が付かなった。
自分はちゃんとやっていると思っていた。
小さい時から聖書を教えているし、しつけもしている。
デボもしている、という自分の思いが強くあった。
自分の傾向、思いが強く、それを譲れなかった。
自分が少しずつ気づいて来た時にも、今までやって来た事がムダだったのか?
母親としてダメなのか?という思いが、古い自分を捨てる妨げになっていた。
自分の歪んだ見方を完全に捨てるには古い自分に新しい自分を付け加えるのではなく、古い自分を捨てて、新しい自分になるという事が大切!
例)言葉だけではなくノンバーバル行動が大きな影響がある
仕事から帰ってくると、目につくものを先に言う(宿題やったの?食器を洗った?)
子供の態度(権威要求な態度など)ばかり目についてしまい、心に目についてしまう。
昔の自分(子供の頃)と比べてどれだけやっていたかを見てしまう。
自分の子供の頃の育った環境と今の子供達の環境は違う。
例)デボの後、愛ちゃんに「帰ろう」と声をかけたら「ご飯食べに行こうと思ったのに」と言ってとても不服な態度に変わった。後で分かったのは愛ちゃんなりに親に従おうと思っているけれども、それを表現しづらいという事が分かった。
親が子供の性格などを深く知り、アプローチを変えていく必要がある。
寛さん
ヨハネによる福音書8:1-11
相手を責めるのではなく、まず自分はどうなのかという事を考えるように努力していく。
誰もその女性に石を投げなかったが、自分自身は多くの時に自分は妻や子供達に石を投げつけていた。
自分自身が家族をどれだけダメージを与えてきたのかという事を深く考えなければいけなかった。
余計なものが自分の心に多すぎると感じている。
そうすると自分の心の中に御言葉が生きない。
古い自分を捨てるのは一度ではなく毎日である。
毎日求めて信じて行う事が大切である。
様々な労苦、様々な状況があるけれども、導いてくださるのは神様である。
マルコによる福音書10:27
自分には出来ないけれど、神様には出来る!