ネヘミヤ書1月から学んでいる中で、ネヘミヤは自分にとってどのような人か考えた。
「神様を愛するヒーロー」だと思った。
なぜか?誰かに頼まれて城壁を建てた訳ではない。
仕事でも義務でもない。150年前に壊れた城壁。
自分は、日々そのような時に自分じゃない誰かがやってくれるでしょう、といつも思う。
「他にすることあるし。」
街にゴミが落ちている、具合悪い人が倒れている。
そんな時も誰かがやってくれる、助けてくれると思って自分はやらない。
トイレットペーパーの交換ですらそう。
ネヘミヤは、兄弟にエルサレムの現状を聞いて立ち上がった。
モーセのように燃える柴で神様の声を聞いたわけではない。油を注がれた訳ではない。
わたし達のように普通に別の仕事をしていた。
城壁の現状は、他の大勢も聞いていた。でもネヘミヤは立ち上がった。
ポイント1:神様の約束に目を向ける
ネヘミヤ1:3-9
ネヘミヤはおそらく申命記30:1-4から引用した。
ネヘミヤはこの神様の約束を信頼した。
叶えてくださると信じて祈った。「わたしがやります。」と。
神様が成功させてくださると信じている確信があったので、決心出来た。ヒーローになった。
ネヘミヤと自分を比べると、自分はそのようではないと思ってしまうかもしれない。信じきれていない。
わたしがそう。テーマ聖句に関しても、プレッシャーを感じ、できないのではないか、信じなきゃと戦っている。
去年の「神様は何でも出来る」という聖句も、いつの間にか自分が信じられる気持ちと戦ってしまい、神様を見ていなかった。
結果がうまく行かなければ悲観する。 自己中心の罪。
今年のテーマ聖句には「神ご自身」とある。
誰がわたし達の再建を成功させるのか?神ご自身。
ネヘミヤ記を通してわたし達が学べることは、この聖句が真実だったこと。
誰が再建をしたのか?ネヘミヤではない。神様。
ネヘミヤ書は、神様の栄光を表す書物。
ネヘミヤと自分を比べるとしたら聖書の読み方が間違っている。
人ではなく神様を見る必要がある。
2千年以上変わらない神様。
これはエキサイティング。
聖書の神様にフォーカスしましょう。
ポイント2:愛する者のために戦う
ネヘミヤ4:8
ネヘミヤは敵からの攻撃をたくさん受けて砂だらけになりつつも、槍を手に持ち、同じ服で指揮官となった。
大事だとわかっているのに誰もやりたがらない中で、立候補した。
ネヘミヤの強い動機と情熱が見える。
ネヘミヤを読んでも家族の記述がない。
エルサレムにいなかったかもしれないし、シングルだったかもしれない。
ネヘミヤの家はスサにあった。ネヘミヤはエルサレムに住む人には、家族のために戦えと言った。
ネヘミヤ13:31
ネヘミヤ記の最後。
神様に、「心を留めてほしい」と祈った。
神様のために戦った。城壁の再建は通過点だった。
彼は、顔も知らない民のために戦場に行った。
わたし達の2つの目標:
- 個人的な再建
- 小グループの再建
これは教会が決めたからやりますか?
旧約聖書はとっつきにくい。
わたしはフレデリック・ブロザートン・マイヤーの本に助けられた。
彼の本には「旧約聖書の信仰のヒーロー達にはのちに現れるイエスキリストの性質が表れている。」とあった。
ネヘミヤの城壁の再建を成し遂げたときは、イエスのよう。
本当に誰かを愛しているときに、自分をなくす。
2年くらい前に富ヶ谷の交差点を通った時、女性の叫び声がした。
ペットの犬が何かに怖くなったのか、いきなり車が飛び交う中に走って行った。
そしてそこへ、その女性も飛び出して行った。
幸い、その人もペットも無事だった。
彼女は、「◯◯ちゃん!!」とそのワンちゃんに抱きついていた。
本当の愛は、脇目振らずになる。自分が無くなる。
あなたの大切な誰かを思い出してください。
その人が赤信号で飛び出して行ったら、とっさに止めるのでは?
もしその人が気づいていなければ、自分が危なくても止めに行く。
出来るかはとっさにわからないと思う。
もっと大事なのは、わたし達は大切な存在ということ。
イエスが十字架にかかっても、神様が救いたかったということ。
今日、教会を訪問してくださっている皆様、また教会へ来てください。
聖書を学んでみてください。
神様があなたを愛していることを知っていただきたいです。
クリスチャンのみなさん、心で神様に愛されていると感じますか?情熱がありますか?
ときに愛は感情ではなく、選択。
確かにそう。でも、感情の無い愛はあるでしょうか?
クリスチャンになって何年にもなるけど、月に2回イエスのように謙虚になるために、兄弟姉妹に教えてもらっている謙虚な兄弟がいる。
同じ学び会のメンバーは神様が与えてくれた近い家族。
その家族のために戦いましょう。
QTシリーズは終わりましたか?
聖書の神様を信じていきましょう。
自分の経験ではなく、神様の約束を信じていきましょう。
今年みなさんとともにネヘミヤのように、兄弟姉妹で神様のために戦えることを楽しみにしています。