今日は2ヶ月前に母が急死して、そこから2ヶ月の中で準備した説教です。
母は82歳で亡くなりました。母に捧げる説教です。
彼女は弟子ではなかったですが、わたしはキリスト的なところは、母に教わりました。
悲しみの経験がある人には、共感できる内容だと思います。
わたしたちの教会では、ICOC でハグします。
聖書の中の口づけで挨拶するというところから来ています。
このハグには文化があるので、国によって違いますが、ハグにもいくつかルールがあります。
- 一般的なハグ(肩で)
- ベアハグ(北米では一般的。異性同士はNG)
- 日本人的ハグ(TCCオリジナル/距離を保って肩にそっと触れる)オッケー
- お辞儀しながらハグ(日本人的ハグに自然とお辞儀が加わったもの)オッケー
- 遁所ハグ(1991年から禁止)アメリカから帰って来たとんちゃんがガッと肩を掴んで「日本的なハグはダメだ!愛してるよ。」と目を見ていうスタイル(笑)。人によって、あまりにプレッシャーと違和感があるので禁止された。
ここまではジョークも含めて軽いお話。今日のテーマは重いからです。
宮沢賢治:
「我々は苦悩を抱きしめて、それを我らの旅の燃料として燃やさなければならない」
Embarrassing sufferings をグーグルで検索したところ、宮沢賢治の言葉がヒットした。彼の作品をこれから読んでみようと思う。
ポイント1:苦悩を抱きしめる
苦悩があった時、どう反応しますか?
- 向き合う
- 耐える
- 付き合う
- 避ける
- 忘れるやられる
コーピングスタイルが出るかもしれない。
避けるかもしれない。
服従の人は 自分を責めて鬱になるかもしれない。
反撃の人は、自分だけが苦しむのは許せないかもしれない。
周りにも苦難を与える。
キリストの弟子として、苦難を抱きしめること、なかなかやらないのではないでしょうか。
第2コリント1:3-9
パウロがエフェソからコリントの教会へ手紙を書いた。力強いパウロが死にたいほど苦しんだ。人生で一番の苦難。
苦しみと同時に「なぐさめ」という言葉も多く出て来る。
信仰者として、一番苦しい時こそ慰めが近い。
そして、他の苦しみにある人を慰めることができる。信仰者として目指すところ。
- 慈愛に満ちた父
- 慰めを豊かにくださる神
パウロは「ハレルヤ」から始めている。
彼と同じ神様を、わたしたちは見ていますか?
今日わたしが話すのは、親を亡くした苦しみで、キリストとは関係ない。
一方で、キリスト者として生きるが故の苦悩がある。
弟子であるから苦しみが多い。
しかし、それ以上に慰めが溢れている。
- キリストの苦しみが満ち溢れて
- 慰めもキリストのゆえに満ち溢れている
- 同じ苦しみに耐えることが出来る
- 慰めを共にしている
第2コリント11:23-30
パウロはここで自分の大変さをアピールしていたわけではない。事実として苦難を書いた。
でもそれを乗り越えた神様について書いた。
ここまでの苦難を得た人はいないかもしれない。
でも、部分的に同じように信仰によっていじめられたり、勘当されたりした経験がある人もいると思う。
わたしの両親は、二人とも若い時に戦争を経験している。
父は志願して海軍へ行った。母は福島に疎開した。
そこで都会育ちだといじめられたことをポツリと話してくれた。
日本人として、苦労を話したがらない。
甘えん坊の末っ子のわたしは、父の戦争の話を聞いた。
兄たちが聞いたことはなかった。
わたしは生意気で分別がなく、父にキレられた。
「 16歳で、お前の年齢で戦争に行った。
ばあちゃんは、泣き叫んだ。米軍の船に突っ込むはずが、船がなくて引き返して来た。
それは屈辱だった。でもばあちゃんが泣き叫ぶ声が忘れられなかった。」と。
酔っ払うと、ハーモニカを吹く。
ある時、日本の海軍のドキュメンタリーを見た。
ハーモニカを吹く水兵たちが出ていた。
酒に酔うと戦争を思い出していたのかもしれない。
でもそれを語ることはほぼなかった。
死んだはずが、死なずに生きて、アメリカで生活。
多くの日本人が、悲しみ、苦しみを語ることが苦手。
ニコニコしてお利口さんを演じる。
わたしもそう。皆さんもそうではないでしょうか?
いいことだけでなく、悲しいことも語っていい。
日本人は、記者会見で泣き崩れる時に「ごめんなさい」と言う。
そんなにいけないことですか?
わたしは教会のフィードバックを別の教会に求める。
あるとき、ある東南アジアの牧師に「東京の教会で、あなたもそうだけど、スタッフも皆も「クライシスと言い過ぎだ」と言われた。
でもそれは違うと思った。その後、彼の教会はクライシスを味わった。
辛くても、苦難を忘れずに振り返らないと、また同じ過ちを繰り返す。
過去から学んで、向き合う必要がある。
アメリカの会議で、スコットという190cmくらいの牧師と話した。すごく面白い兄弟。
母のことを話したら、その大きいスコットが泣いた。
自分も1年前に愛するお母さんを亡くしたとベアハグをくれた。
この1年、苦しみを向き合って、Better Personになったと話してくれた。
意味を訊いた。「自分ではわからないが、周りの人がより柔和になった、暖かくなったと言ってくれるようになった」と話してくれた。
キリストのようになりたい。心底励まされた。
使徒パウロは、復活させた神様により頼んで力を得た。
より謙虚に、愛深く、神に頼り、強くなった。
皆さんに考えてほしいこと:
ニンジンは生だと硬い。茹でると柔らかくなる。
卵は、生卵からゆで卵へ固くなる。
コーヒーはアロマが出る。
残念ながらある人は、卵のように固くなる。怒りっぽくなる。暗くなる。
ある人は、ニンジンのように心が柔らかくなる。人にも与える。
ある人は、キリストのようにアロマを醸し出す。
苦しみは、誰にでも話せるわけではない。
ほとんどの相手には話せない。
昔からお世話になっているシカゴの長老。
会ってすぐお母さんの死を話したら、共感して号泣してくれた。
全然話せない心開けない相手もいる。
ある地方教会の人は、僕にどういう言葉をかけていいかわからないと。
彼は親を亡くしたことがある。 カードをくれた。
キリストのアロマを感じてジーンと来た。
95年、死産、祖母が亡くなり、義理の父が亡くなった。怒りが爆発した。
96年長女が生まれた。
98年父が亡くなった時は回避した。当時、横浜ミニストリーをリードしていた。
頑張らないと、と思っていた。悲しみに向き合えず、長年かかってしまった。
今回は、「Grief Recovery」という本で向き合おうとしている。
「回復とはこの大切な関係において未完成な部分を完成し、回復させることをいう」
Grief Therapy の段取り:
- 悲しみの間違った考え、段取りを把握
- 応急処置の方法・行動
- 損失のタイムライン
- 行動のタイムライン
- 足りない部分を完成させる
- 謝罪
- 許し
- 心を表す言葉の表現
今日は詳しくは話せない。またの機会に一緒に深く学べたらと思います。
- 悲しみの間違った考え
- 泣くな。みっともない。
- ハレルヤ!クリスチャンは喜ぶべき。
- 悲しんでいるのは自分だけじゃない。人のために強くなれ。
- 後悔してもしょうがない。時間が解決してくれる
- もう○年経っているのだからいい加減乗り越えなさい
- スポーツ観戦、ショッピングは応急処置で解決ではない。
未解決の悲しみは、人に怒りを与え関係を壊す。イライラ、苦々しさ、鬱の元になる。 - 損失のタイムライン
母とのグラフを作った。
一番辛かったのは、宣教のために日本へ来て、親に勘当された時期。
母はバス停まで見送ってくれた。手に100ドル札を握らせてくれた。一生会えないと本気で思った。関係のタイムライン - 数年後、赦してもらい、また両親と会えるようになった。結婚して子供ができて関係が変わった。でも、アメリカと日本で離れているので一緒に過ごせる時間は少なかった。
- 足りない部分を完成させる
最期に3日間、母と過ごす時間をもらったことに感謝している。
SEAリージョンリーダーと東京のスタッフ、責任役員は「いいから行って」と言ってくれた。ジュビリーや教会はいいからと。
母との最期の3日間、孫からのビデオレターを見せ、妻と僕の手紙を読んで伝えたい感謝を伝えた。
父の時に出来ないことが出来た。
でも悲しみは続いている。
今、習慣として母のスライドショーを作っている。昔の若い時の母の写真。家族写真。
朝から眺めて毎日泣いている。トロントの思い出の地。父の建てたホテル。ナイアガラの滝、市役所。
そこに立って、親に手紙を書きながら、妻と悲しみを共有してもらった。
きちんと悲しみを共有しないと、後でイライラする。人に当たってしまう。カラ元気。
でも神様には違う。感謝する。 今まで以上にQT取ってお祈りしている。
子供の頃、家族写真を撮った想い出の彫刻の前で、あるアメリカ人が話しかけて来た。実は、日本に住む人。
神様は、悲しむ中で友達を与えてくれた。
10節:苦しみを通して完全なものとされた。
イエスは完全な救い主
完全=完成する、完全になる
17節:全ての点で兄弟たちと同じようにならなければならなかった
ポイント2:キリストが慰めを豊かにくださる
ヘブライ2:10-14
私たちは決して一人ではない!イエスは憐れみがある。
悲しみの真最中。孤独に感じる。惨めな思い。
富ヶ谷の教会に来るのが辛い。この中にも、悲しい時に代々木八幡の駅まで行って、引き返した人がいるかもしれない。
教会の入り口まで行って、入れなかった人もいるかもしれない。
母とは、最期は妻も孫も会えなかった。
日本への帰り、一人で飛行機に乗った。孤独だった。
自分以外のスタッフの日本人の親は、近くにいていいなと思った。
雄大の両親は救われている。とんちゃんの両親はジュビリーに参加してくれた。
私は、ジュビリーに参加できずに惨めで孤独だった。
自分が計画して準備したプログラム。
ハーレムのレッスンを聴きながらも惨めな気持ちと戦った。
唯一笑えたのは、妻がルツ書に出てくるナオミを、誤訳して「阪口なおみちゃん」と通訳したところ。笑いで気持ちがほぐれた。
人に要求するとうまくいかない。「この人は、ずいぶん自分が助けてあげたのに、なんの慰めもしてくれないのか」とか思うとダメになる。
キリストから慰めを得るのが一番
ヘブライ4:15
Sympathize(同情) でなくEmpathize (共感、憐れみ)
あるブレネーブラウンのビデオを観る
https://www.ted.com/talks/brene_brown_on_vulnerability?language=ja
共感する人の4つの特徴:
- 相手の立場に立って聞く
- 自分から見た視線で批判しない
- 人が感じる感情を読み取る
- その人の身になっていっしょに感じる
同情する人:心は優しい。聞いている動機はいい。
でも悲しみにある当人は聞いているのが辛い。
共感と同情の違い:
共感は人との繋がりをより強くする。
同情は人との絆をゆるく壊す。
共感には、「心をさらけ出す勇気」が必要
同情は上から目線
「少なくとも○○でよかったじゃない。」
自分の心に向き合う必要がない。不快な感情から避けても同情できる。
共感が下手な弟子が多い。共感が下手な親が多い。
悲しみに向き合うのが下手な日本人。
わたし達の教会もその傾向がある。
妻はそれが得意。いつも共感してくれる
上から目線の同情は、逆に傷つく。
共感するには、自分の過去の悲しみを引っ張り出して、同じところに行く。不快感があっても。
同情は、「大変だねえ。かわいそうだね」で終わる。相手の元に降りていかない。
今週、弟子になって1年の息子はたくさん涙を流した。他のティーンも。
唯一の希望は、キリスト。
ポイント3:慰められる者が慰めることが出来る
第1ペテロ2:23-24
第2コリント1:3-4
ルカ5:31-32
イエスは、医者を必要とするのは、病人といった。
世の中は失われている、とわたしたちは言ってきた。
でもそれはもしかして上から目線かもしれない。
失われているというよりも、世の中は悩んでいる。弱まっている私たちもそう。
でもキリストの十字架の福音がある
教会は素晴らしい場所で、私たちが素晴らしいというのが、福音のメッセージではない。
キリストは、人々を救うために十字架にかかった。
わたし達は上から目線ではないか?
私達は分かっている、できているではない。
打ち砕かれた心が必要。
元気でもない。素晴らしくもない。でもキリストに感謝している。
キリストの十字架に触れられて癒された。
苦悩を抱きしめて「embarrassing sufferings」
わたしたちはキリストの十字架に砕かれるべき。
苦悩を抱きしめなければ、人の苦しみを理解できない。
苦悩を抱きしめて、より寛容、より愛深くなれる。謙虚さ、柔らかい心を持てる。
そのような教会を目指しましょう。
苦悩だけでなくキリストの慰めを抱きしめていきましょう。