今日はHOPEサンデー。
HOPEは、世界中で活動がある。
日本では、Hope World Wide Japanとしての活動がある。
私は震災後、理事として関わらせてもらっている。
HOPE は何の頭文字か皆さん知っていますか?
Helping Other People Everywhere
どこでも、他の人を助ける。
HOPEのテーマ聖句はガラテヤ2:10。
貧しい人たちを覚えて助ける実践をすること、隣人を愛することについての聖句。
そしてこれは、HOPEと関わっている人だけのものではありません。
私たちもイエスキリストの前で、心が貧しいもの。
出来れば良いというオプションではなく、神様から見て皆に必要なこと。
イエスキリストは2千年前に全ての概念を覆した。
今日の説教タイトルは、HOPEのスローガン。
それ以外に、私がHOPEを考える時にいつも頭に浮かぶ聖句がある。
ヨハネ5:1-9
2千年前、イエスが生きた時代、ベトサダの池という池があった。
実は100年前に発掘された。
聖書が真実であることが、ここでも明らかになった。
二つのプールのようになっていて「日」のような形。大きいほうだと100m以上。小さなほうでも50m以上。男女で分かれていた。
沐浴をする人工池で、 貧しい人に施しをする場でもあった。
この池には、伝説があった。
時々天使が降りて来て、池の表面が動いた時に、最初に池に入れば癒されるというもの。
医者に診てもらっても治らない人が集まっていたのではないか。
そこで、イエスに癒された人のシンプルなメッセージ
今日私たちは、どのようなメッセージを受け取るでしょうか?
ポイント1:私たちには、問いかけられるニーズがある
何年も変われずに、そこに留まる人たちがいた。癒される話はほとんど伝説だった。希望のない場所だった。そういう場所にイエスが行き、変えた。
38年苦しんで、癒された人。なぜ彼なのか、私たちにはわからない。
一つのイエスからの問いかけがあった。
「よくなりたいか?」
明らかによくなりたいとわかっているはずなのに、イエスはこう聞いた。
彼の人生を縛って来た最大のことに対して、シンプルに聞いた。
その人は逃げることもできず、自分に向き合わないといけなかった。
彼は「誰も助けてくれない」と言った。
でも、イエスは、彼のほんの少しでも助けられたい思いを感じたのかもしれない。
彼は、イエスに問いかけられた。癒された。
イエスは彼に触れようとした。
彼は心が固かったかもしれない。うまく答えられなかったかもしれない。
この聖句は2千年間人類がずっと問いかけられて来たこと。
私たちは、問いかけられて、心を触れてもらうニーズがある。
あなたは神様から、心に触れられたのはいつですか?
先ほどのミンスクさんの話、感動した。彼女は最初、震災後、恐怖で逃げようとした。
でもボランティアに参加して、神様から問いかけられた、触れられたと思う。
そして、HOPEのスタッフとして長年復興を助けてくれた。
2011年、山口家を仙台に送り出した。幸男さんは当時仕事をしていなくて、彼の答えは慎重だった。
「一度被災地を見せてください。」と。
いっしょに2人で被災地を見て回った。
そこで神様に問いかけられたから、仙台にミンスクさんも、幸男さんも移り住んだ。
最近、神様に心を問いかけられていますか?
大きく変えられていますか?
「よくなりたいか?」
「取り組もうとしているよ、なんとか水の中に入ろうとしているよ。でも、誰も
助けてくれないよ。。。」
彼は、38年間で心が硬くなっていた。
私たちも変わりたいけど、もがいているのかも。人のせいにしていないか?
本当にイエスの問いかけに答えたいか?
「本当によくなりたいですか?」
「本当にどうしたいですか?」
イエスは、周りに人がいたかもしれないけど、個人的に問いかけた。
希望をもたらすのは、あなたの個人的な心から始まる。素直な心。
真摯に聖書に向き合った時、イエスに問いかけられます。
今日、そのイエスの問いかけに答えるとき
この希望のない場所が、人生が変われる奇跡の場所になった。
ポイント2:私たちは立ち上がる必要がある
イエスは、「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」と言った。
相手は38年間寝たきりだったのに。
イエスはまったく無駄が全くない。
聖書には、彼が立ち上がったとサラッと書いてある。でも怖かったのではないか?
「ちょっと待ってください。」など、心構えが必要かもしれない。
最終的にこの人は起き上がって、奇跡を味わった。イエスの言葉で、この人は立ち上がった。
イエスは彼を憐れんだ。心を見た。最終的にその人自身の決心を重んじた。自分で決心して行動することを促した。
どこかで整ったら、私たちは行動するのでしょうか?
その床は私たちの言い訳にはなっていないでしょうか?
去年、私はバリで、英語でHOPEのレッスンをしなければならなかった。
フィリピンとネパールの大ベテランのHOPEスタッフに向けて話した。
震災のことと、仙台の教会のことを話した。
そこで一つの質問をされた。今でも強く心に残っている。
「そういう活動をするのは素晴らしいですが、どのような心でそれができるのですか?」
私はいわゆるHOPE人間ではない。
もともと、人に深く寄り添うのは苦手。
牧師の仕事は天職だと思っているが、HOPEは自分では得意と思ったことはない。
震災が起きた時の翌日は、パーティーの予定だった。
教会を、山手通りを歩く皆さんに解放した。
テレビをつないで、何人もの人が亡くなったというニュースを見た。
それ以来、神様に何度も問いかけられた。
出来ることをし続けて6年が経った。
自分が立派ではない。神様がこうしなさいと言われたことをやっただけ。
現場でやって来たスタッフが素晴らしかった。
今でも新しいことに挑戦している。
床を担いで、起き上がるようなことをずっとし続けている。
就労支援も難しかった。数えきれないほどたくさん失敗しつづけて来た。
神様の力によって、今年は初めて黒字続き。
ある時、「この仕事楽しいですか?」と私は就労支援の方にも聞いた。
「今が一番楽しいです。」という答えが返って来た。
やってきてよかったと思った。
立ち上がるのは、出来ないという言い訳を無くすこと。
立ち上がるのは、言い訳せずに見えない状況の中で動くこと。
立ち上がるのは、希望をもたらし、人生を変えることが出来る行動が出来ます。
立ち上がった後には、私たち自身が、希望を他の人たちに伝えていくことができます。
是非、神様からの問いかけに答え、立ち上がっていきましょう。