今日は使徒パウロの人生から学びます。
使徒9:1-19
この時点ではまだサウロと呼ばれているパウロの回心の話
パウロは、神様のためにベストを尽くして生きていると信じていた。クリスチャンを迫害していたが、それが正しいと信じて生きていた。
ある日、天からの光で地に倒れた。
私たちの人生でも、予期せぬことで、神様が光を照らし、失敗や罪を見せることがある。
一瞬何が起きているかわからず、衝撃で地面に倒れた。
パウロも何が起きているかわからなかった。
今まで自分がしてきたことがなんだったのだろう?律法の教師でありながら、恥ずかしい。
など、罪悪感と恐怖、後悔でいっぱいだったのでは。
私自身、最近、自分の罪と弱さ、失敗が神様につぎつぎと明らかにされた。
様々なネガティブな感情が出てきた。つくづくむずかしいことだと思った。
自分に向き合い、感情のプールを泳ぐ。
そのプールに入り、水の感触を味わう、逃げないのが大事。
いろんな感情が出る。今までやってきたことはなんだったのだろう?
恥ずかしい。いったいどれだけ多くの弟子を傷つけてしまったのだろうか?
パウロも目の見えない3日間で感情のプールを泳いだに違いない。
そんな最中、神様はアナニアを遣わした。
9:15 イエスの言葉
選ばれた器であるパウロは、どんなに苦しまなければならないか
この言葉は、牧師だけに当てはまるものではない。クリスチャン皆に当てはまる。
1992年、教会の古い寮のキッチンで24歳の山崎牧師にこの聖句を初めて教えてもらった。
大学院への進学を決めていたが、落ちないと言われていた二次試験で落ちてしまった。
教会のためにもたくさん尽くしたのに。。。
色々な思いがあって落ちこみそうだったが、この聖句に励まされた。
ここの聖句の苦しみは、罰ではない。
イエスの御名が、伝えられるための試練。
パウロによって家族が殺された弟子にもたくさん会ったと思う。信頼関係は当然ない。
何度も謝罪したと思う。何度謝罪しても赦されなかったのではないか。
何度も倒れ、イエスキリストに立て直してもらったのが、パウロの人生ではないか。
今日の説教タイトルは、水曜ディボで話した人はピンとくるかもしれない。
説教タイトルは「立て直す力」という本にインスパイアされている。この本に今週助けられた。ブレネー・ブラウンさんの本
4日前に熱中症で倒れた。先週、同時に感情的にも倒れていた。
本を通じて幾つかの大きな気づきがあったが、そのうち1つを皆さんに分かち合いたい。
「後悔は厳しく公正な教師。後悔なく生きる人は、学ぶ機会、謝罪する人生を選ばない人。」
私はいつ頃からか、後悔しない人生を歩みたいとずっと生きてきた。
後悔しないとはどのような決意で生きてきたのか?
新潟の長岡という田舎町を出て、アメリカへ留学したこと、
バプテスマを受けたこと、 教会で働く決心、
町田に住む決心、ミッションで札幌に移住する決心、帯広に引っ越す決心、
教会でまた働くため東京へ移住する決心、
50近くで娘を養子にする決心をしたこと。。。
自分の人生は飛び込む人生だった。
その都度、自分が確信で決意したことだったけど、神様が与えてくださった機会を後悔したくない思いがあった。 悪くない、いいものだったと思う。
でも償って、赦しを得る後悔の人生は素晴らしいとこの本で覆された。
後悔していい。
パウロの人生はまさにそうだった。
皆さんの人生、ストーリーを描くには、自分の失敗を認め、しっかり後悔すること。
自分は「何度も失敗し、時に後悔して打ちのめされたけど、イエスの御言葉、兄弟姉妹によってその都度立ち上がってきた。」と言えるストーリーの人生を生きたいと思った。
長島先生のセミナーが7/29にある。
発達障害などを抱える人の家族が参加対象。
私自身、障害をかかえる娘を持つ親として、このコミュニティーに感謝している。
長島先生は第一線で活躍されている。コミュニティーという言葉がよく出てくる。
障害について、誰にも相談できない家族もいる。
支え合う助け合うコミュニティーがあるのは大事。
長島先生を招待するライングループがある。
早朝深夜と活発に皆からの意見が飛び交う。
「この教会に来れば立ち上がる力を与えられる」。そのような教会になっていくこと、わたしが思い描いているストーリー。
誰にも話せないことが相談できる人、それはまさしくイエス・キリストの姿。
倒れたことがある人だけが立ち上がることを助けることが出来る、私はそう思います。
今日の説教タイトルは「立ち上がる力、それはイエス・キリスト」です。