このテーマを聞いて、聖句を浮かべる方もいるかと思う。
ローマ8:28
この聖句は私にとって、この教会にとって特別な聖句。
東京キリストの教会の前身、代々木八幡キリストの創設者のジョージ・ガーガナスさんは、牧師であり、大学教授だった。
医師から余命2週間と宣告されて、1992年7月4日、最後に思うことの手紙を書いた。
手紙に3つの聖句が書いてあった。その一つがローマ8:28。
最近、この聖句について色々考えさせられる。
インドネシアのレビさん・シンシアさん夫妻とランチョンミーティングしていたとき、ある既婚者姉妹が「自分はいつもパニックしてしまう。子供の時の経験によるもの。どうすれば良いでしょうか?」と質問した。
「妻は安定しているから、シンシアに聞いてみてください」、とレビさんはアドバイスした。
姉妹の皆さん、そう反応して貰いたいですか?
普通の妻なら、夫からそんな風にふられるとパニックになるかもしれない。
でも、シンシアさんは冷静に対応した。
「私はローマ8:28を常におぼえるようにしている」というシンプルな答えだった。
でも、それこそが真実な回答。
御言葉を知っていることと、信頼して信じ切っていることとは違う。
期待と違う出来事があった時でも、神様のベストな計画であると信じることが出来る。
万事を益とする神様が導いてくださる、と信じることが出来る。
今日は、その1人から学びたい。
今年の教会のテーマ聖句、「マルコ9:23」を生きた人物。
アブラハムから学びたい。
ローマ4:16-25
アブラハムの生涯:
- 75歳で住み慣れたハランを去る
- 甥ロトとの別れ
- 女奴隷ハガルと妻サラとの確執
- 100歳でようやく息子イサクが生まれる
- イサクを献げるように神様に命じられる
- 妻サラの死
- 息子イサクの結婚
- 175年の生涯
アブラハムは状況によらず、信仰によって生きていた。
神様から「あなたを大いなる国民とする」、と示されながら、25年間サラから子供が生まれる気配もなかった。
そんな中でイサクを与えられ、大喜びした。
でも、神様にイサクを献げるように命じられる。
長年待ち望んだ祝福、恵みを与えられたが、取り上げられる。
それでも、アブラハムは神様の約束を信じていた。献げて、再び与えられた。
神様を知れば、信じずにはいられない。
神様は信頼に値する方。
クリスチャンは努力ではなく、神様の啓示により信仰に入った。
私たちの救いは神様の導きによるもの。
自分の努力に必死になっていると、メッセージを見失うこともある。
教会活動に熱心でも、神様から離れることがある。
教会活動に熱心であれば、神様を知れるわけではない。
あなたは神様を強く知って、信仰を強められていますか?
状況を見ていますか?問題を見ていますか?神様を見ていますか?
神様の言葉を聞くことから信仰は始まる。
教会の歴史を振り返る中で、神様はどのような方か気付いた。
逆境で奇跡を起こす、働かれたい神様。
アブラハムはそれを信じた。
そのために、アブラハムは信仰の父と呼ばれるようになった。
クリスチャン、日本では0.5パーセントしかいない。
その中で私たちを神様が選んでくださった。
神様は私たちが信仰の父、母になることを期待している。
私たちはなぜ神様を伝えたいのか?
人を救いたいのは、私たち以上に神様であるから。
2テモテ4:2の聖句に書かれている。
そのために私たちを用いたい。
人が神様に反応しない時、私たち以上に神様ががっかりする。
私たちは人が信じなくても気にしない。
イエスは厳しく不信仰を戒めていた。
私たちは姦淫などの罪には罪悪感を抱く。
でも、不信仰は罪悪感を覚えない。
全てが可能な神様を「信じない」ことがたくさんの人を傷付ける。
信頼することが大事。それを私は1歳4カ月の娘から学んだ。
彼女はずっと笑っている。パパとママを信頼しているから。
そのような態度で自分は神様を信頼して、安心しているか?考えさせられた。
私がこの教会と出会った25年間の信仰生活、もっと神様を信頼していたら違った、と思う。
何度も絶望、被害者意識。
神様を信じきれていない時もあった。
昨年4月9日に娘がきて、神様に深く信頼した。万事を益と為す神様を感じた。
変えられた人生、価値観、人格、これらは万事を益とする神様から起きている。
何が起きていても、神様を信頼する。
先週、小鴨さんから話を聞く機会があった。
66年の信仰生活。この教会の前身、代々木八幡キリストの教会から現在の歴史と重なる。
色んな話を聞く中で、何度も教会存続の危機があった中、愛し続けてくれた兄弟姉妹がいたことを改めて知った。
逆境の中で信仰を持たないことは、神様を愛さないことになる。
小鴨さん、森先生の存在が無ければ、この場所で礼拝は持てていない。
森先生が私たちが生まれる前から導いてくださっていたことを改めておぼえた。
私たちは、サンフランシスコの教会の支援を知っている。
でも、1950年頃、終戦間もない頃に犠牲してくれた兄弟姉妹のことは知らない。
GIと呼ばれたアメリカ人兵士も犠牲してくれていた。
70年近く前にいた兄弟姉妹の心に、神様は働いていた。
当時の礼拝、アメリカ人男性の姿が大多数を占めている。
歴史を知ることの大事さを改めて実感している。
主の御計らいを改めて忘れてはならない。
ヘブライ11章にもある通り、信仰は聞くことによって始まる。
今日、私たちは本当に神様の声を聞いていますか?
自分の価値観に固執していたら、本当の意味で聞いていない。
救いが増えることは、神様の御心。
そのために生きるのはクリスチャンとして正しい生き方。
私たちは、当時のアメリカ人兄弟姉妹の名前は知るよしもない。
でも、彼らが教会を建ててくれた。
見たこともない彼らが築いてくれた。
いつか、顔も見たことのない兄弟姉妹が日本のどこかで私たちに感謝してくれることを想像してください。
自分たちは出会わないかもしれない。子供達が会うかもしれない。
今日、私たちが信じている神様はどのような方でしょうか?
私たちは目の前の出来事に信仰を奪われる。
でも、偉大な神様の計画、見たこともない兄弟姉妹が築き上げ、教会を危機から守ってくださったこと、素晴らしい。
小鴨さんや森先生からすると、今日の教会のこの姿はとても誇らしい。
地方のどこかの兄弟姉妹が、感謝してくれる日がくる。
今日も、私たちの信仰が大事。
私たちが日々信じていく。
感動、喜び、自分たちが戦ってきたことを。
信仰の戦いを諦めてはいけない。
神様があなたの闘いを全てご存知。
神様が万事を益としてくださる信仰を持ち続けましょう。