『新時代 メタノイアトランスフォーメーション』
今年はどのような1年になるでしょうか?
どのような神様の働きがあるでしょうか?
それを楽しみにしている。
スタッフで年始のリトリートを持った。
『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』
ドイツ宰相ビスマルクの言葉。
年末年始、なぜかこの言葉が何度も頭に浮かんだ。
先に進もうとするところで、私たちは他者から学ぶことができる。
わたしたちはいまコロナ禍にある。
これはまだだれも経験がないこと。
しかし、パンデミックは歴史上何度か起きている。
【パンデミックの歴史】
ペスト:14世紀(1347-1351)
ヨーロッパの全人口の4分の1から3分の1亡くなった。
世界で7500万人から2億の死者。封建制度の崩壊。
スペイン風邪:1918から1919年
インフルエンザの通称。
5千万人から1億人の死者。
植民地時代の終焉。
共通点は数年間で終わることと、元の時代に戻ることはないということ。
わたしたちの時代も、新しい時代へ移るということ。
皆さんもすでにニューノーマルを実感していると思う。
働き方、考え方。
オンラインとオフラインの変化。
社会はDX / CXの時代と言われている。
デジタルトランスフォーメーション。
会社のトランスフォーメーション。
デジタルでただ変化するのではなく、会社や社会が大きな変革をする。
教会も、チャーチトランスフォーメーションの時代。
これから先、どのように変わるかはわからないが、大きな変化がある。
聖書では、大きな変化、新しい時代を迎えるとき、
どのように語っているか?
わたしたちに求められていることは?
マタイ3:2−3
「悔い改めよ。天の国は近づいた。」
イエスキリストが誕生するとき、ユダヤの社会は先の見えない時代だった。
救い主の誕生が預言される中で、バプテスマのヨハネはそのように語った。
マタイ4:17
イエスの宣教のはじめにも、イエスご自身がこのように言われた。
「悔い改めよ。天の国は近づいた。」
変化が起き続けるとき、福音書、使徒言行録の時代も、
この中心的なメッセージがある。
悔い改めとは、シンプルに言うと変わること、神様に立ち返ること。
原点に戻ること。
砕かれたこころ
メタノイア、悔い改めは神様に立ち返ること
マタイ11:21
イエスキリストが、悔い改めるときには粗布をまとい灰をかぶることを言われている。
ヨブ42:5−6
塵と灰にひれ伏す
悔い改めには悔いるという言葉は出てこない。
しかし一方、灰にひれ伏すというのは、砕かれることを指す。
砕かれるというのが悔い改めの第1のプロセス。
感情的に自分を責めることだろうか?
それだけではない。
ヨブ記を読むと、彼は感情的な一方、客観的にも語っていることがわかる。
ルカ15:17-19
放蕩息子のたとえ。
息子は自分のやらかしたことを述べている。
自分のみじめさを味わった。
破産して家畜のえさを食べたこと。
その状態で、聖書は、彼が我に返った(come to face)と述べている。
自分を責めて感情的になったかもしれないが、冷静に我に返ったのだと。
「こんな自分は駄目だ。」と自分を責めて終わるのではなく、
自分の罪を冷静に見つめ、認めた。
自分の状態に対して意識的だった。
ユダヤの文化で我に返ると書かれると、そのストーリーは悔い改めのストーリーとして完結する。
つらい感情があるかもしれないが、
嘆き悲しむ心から、最終的に神様に頼るプロセスを持つ。
「砕かれた心とは、自分に頼ることと神からの独立を取り去ることですが、
彼は自分のうちに、また自分を通して働く神の恵みに全体的に頼るように投げかけられるのです。」
Nancy Leigh DeMoss
自分は駄目だと自分を責めて終わると、自己憐憫がひどくなる。
本当の意味での悔い改めが必要。
最近二人の近い姉妹たちに、
「雄大さんは前よりもっと話しやすくなった。」と言われて嬉しかった。
大丈夫と思われがち。
悔い改めて心開くことができているのだと思う。
放蕩息子のように何もとらわれなくなったとき、
彼は父の元へ帰ろうと決心できた。
これは皆さんにも経験があると思う。
日本ではあまりなじみがないが、アルコール中毒者の回復の組織、A.A.の12のステップがある。
教会よりも上手にむきあっているように見える。
そしてわたしはA.A.のステップは非常に霊的だと思っている。
12のステップの最初は、
無力さ。
「わたしたちはアルコールに対して無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。」
最初にして一番むずかしいステップだという。
わたしたちは、手放して神様の前に悔い改める。神様がすべてになる。
そのようになっていきましょう。
立ち返る
ルカ15:42A
放蕩息子は神様の元へ行った。
悔い改めは、本人の決心で神様の元へ行くこと。
わたしたちは自分自身を手放し深めると、神様までも手放す傾向もある。
手放したとき、やさしさや愛が深まる。
そのとき、神様をも手放していないか?
Differentiation 分化
という造語がある。
周囲の近い人たちからの圧力ではなく、どこまで自分を持ち続けられるか。
それと同時に近い人々と近さを保てるか。
健全な家族関係のために、この分化は必要という。
神様をどこまで持ち続けられるか。
立ち返られるか。
昨年を振り返ると、自分が背負いすぎて人生がとても重いと感じていた時期があった。
自分を重くしていたことを書き出した。
あるとき、はっとした。自分は別に重いものを背負っていたわけではない。
ただそのように感じていた。 神様を明確に感じていなかった。
神様へのスタンスをクリアにした。自分で解決しようとしていたとわかった。
驚くほど明快になった。
使徒5:29
ガラテヤ1:10
常に神様のスタンスを取ること。
人に従ったり、気に入られるのではない。
弟子として歩むとき、ときに人から喜ばれない道、理解されない道を歩むことがある。
そのとき、メタノイアが必要。
神様がわたしたちに望む働きに道を整えることが必要。
新しい時代を生きるとき。
信仰のヒーローに、神様は「大丈夫だよ。わかるよ。」とは言われなかった。
ただ「行け。」と。
しかし、神様のスタンスを取り、信仰をもって神様の道を選び続けましょう。
先は見えない。けれども新しい時代がやってきている。
真のメタノイアをもって、大きく変えられる1年にしましょう。
島田尚史さんが天に召された。
わたしたちの信仰のヒーロー。
彼の信仰の人生に心から尊敬を示す。
あまりに若すぎる死と急なことで、わたしたちも悲しみに包まれている。
1991年に洗礼を受け、30年以上忠実に仕えてくださった。
聖餐式に話してくださる予定だったが、ビデオを撮る時間がなく入院になってしまった。
原稿の一部をシェアさせてください。
「神様は「アッバ父よ。」と叫ぶ御子をわたしたちに送ってくださいました。
アッバとは、「おとうちゃん」と幼子が父を呼ぶ言葉。
幼子は父に呼びかけるのに我慢はしません。
しかしわたしには、困難にあるとき、自分の力に頼ってこその思い込みがあった。
神様は、困難を通し、私の心を変えてくださった。
兄弟姉妹に祈ってもらう事。兄弟姉妹たち
兄弟姉妹で互いに祈り合いながら、主の道を歩み続けたいと思います。」
尚史さんもまた病床で手放すことを学んだ。
同時に主の道を歩むことをあきらめなかった。
尚史さん、ありがとうございます。
天国で会えるのを楽しみにしています。
今日、砕かれた思いで、感謝して聖餐に預かりましょう。
新時代の悔い改め メタノイア:
トランスフォーメーション
砕かれた心
立ち返る