『わたしの負い目を赦してください』
マタイ6:12
わたしたちの負い目を赦してください。
わたしたちも自分たちに負い目のある人を赦しましたように。
マタイ6:14-15
もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちを赦してくださる。
赦しは聖書で最も重要なことの一つ。
ポイント1:赦されることは赦すこと
もし人の過ちを赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちを赦さない。
負い目:
オフェイレマ→支払い義務があるもの、借金、夫妻、過失、過ち、罪
人との間で起こるもの。負い目は、聖書のたとえで借金として出てくる。
人は怒りがあるとき、わたしたちはこの人に貸しがあると思う。
これだけ傷つけられたから、借金を支払われるまで貸しがあると。
わたしはこの人に傷つけられ、嫌な気分だけど、わたしはクリスチャンだから赦してあげている。
信頼してあげている。
この感覚も貸しがある。
本当の意味で相手を赦していない。
わたしはこのことを気づいたとき、何人かの顔が浮かんだ。
細かいところで人に対して貸しがあると思っていると気づいた。
我慢や服従。または相手をさげすむ心がある。
わたしは日々、神様に負い目を作っている。
イエスは本来自分が負うべき罪を、十字架の痛みと傷により負ってくださり、
赦してくださった。
これはわたしだけでなく、皆さんにも、まだイエス・キリストを知らない人のためにも。
それを知っていながら、負い目を赦さないのはひどい心。
先日も、わたしはどこかである兄弟を赦せていないのだとわかる出来事があった。
イエスが彼を赦しているのだからこそ、わたしも彼の負い目を赦す決心ができた。
皆さんはいかがでしょうか?
赦せていない人、どこかで貸しがある人、「~してあげている」の関係がある人はいないでしょうか?
1分間、思いめぐらせてみてください。
短い時間なので、礼拝後また考えてみてください。
わたしは今回、負い目がある人との関係をそのままにしていると苦々しくなり、解決できなくなる。
きめつけ、不和、分裂、敵意になるとわかった。
わたしたちの教会はスキーマ・セラピーに取り組んできた。
自分や相手を理解する文化ができてきている。
しかし、イエスが教えられていることは相互の理解以上のこと。
つまり、赦し。
摩擦を解決しないことで問題が起こる。
わたしたちは赦しについて、真剣に取り組んでいるだろうか?
貸しをそのままにしていませんか?
赦すことなしに、赦されることはない。
日々、赦しの祈りをしていきましょう。
ポイント2:赦すことでイエスのようになっていく
ルカ23:32-34
有名なイエスが十字架上で赦す場面
自分を十字架にかける人たちのために祈られた。
敵を愛しなさいと言われたイエスの原動は一致していた。
わたしたちもまた、イエスのように赦すのであれば、イエスのように変えられ続けていく。
もしイエスのように赦していなければ、イエスのように変えられていない。
わたしは相手にしづらい話をするのが苦手。
相手から怒られたり、戒められることも苦手。
しかし、時に戒めは愛でもある。
必要なことを伝えないといけないときもある。
わたしはこれほどまでに戒めが苦手なのかを考えてみた。
それには父との関係が影響していると思う。
父は私が小学生のころ、深夜にお酒を飲んで帰ってきては
わたしと兄二人を起こし、説教した。
兄たちはテストが100点ではないと責められていた。
わたしも勉強が苦手で責められていた。恐怖があった。
小学校の文集で将来の夢を書くとき、「やさしいお父さん」と書くほどだった。
ある兄弟に「真君、お父さんを赦したほうがいい。」と言われた。
私の反応は、いやいや、もう十分やっているよ。
赦しているでしょう。
というものだった。もう嫌だ。
思い出すと向き合いたくない。
しかし、思い出すと、父はまだ自分が子供時代、どれほど嫌な思いをしたかをわかっていない。
同時にこれはもっと取り組むことが必要だとわかった。
父がやったことにすべて反応し、反面教師としていた。
人生の深い部分でイエスのようにではなく、父に影響されていた。
父のしたことはよくなかった。しかし父はわたしたちと関わろうとしてくれた。
苦手だったが、お酒の力を借りてコミュニケーションを取ろうとしてくれた。
父は自分の育ってきた環境で関わってもらえなかったので、正しい関わりがわからなかったけど、
関わろうとしてくれたのだとわかった。
先日土曜の丑の日。父と時間を過ごし、父の父の話も聞いた。
その後プロセスし、父を赦す決心をした。
もう一人、わたしの所属していた劇団の先生。
ものすごく尊敬しているが、赦せない人の一人だった。
4年前に他界。先日お墓参りにいった。
わたしは用意した手紙を墓前で読ませてもらった。
わたしは赦すことができた。
この二人を人生の中で赦すことは自分の中でとても大きかった。
そのことで、自分の人生の健全なオーナーシップを持てるようになった。
(オーナーシップは自分の人生の所有権。健全は権利と義務を持つもの)
皆さんはどうでしょうか?
向き合うことと、イエスのように変えられることは同じではない。
向き合ってイエスのように変えられ続けることに熱心でしょうか?
変化を怖がり、どこかで熱心ではない。
そのような人が多いように思う。
このハードラインさを語らなくなった。
指摘し合わないことが原因。
熱心さがなくなった。
赦しは簡単ではない。
赦すほうも、赦されるほうもエネルギーがいる。
しかし、赦しこそ、私たちがイエスのようになっていける希望。
あなたは今日、誰を赦すように導かれていますか?
イエスが祈りを教えられた祈りのように、わたしたちは日々赦しの祈りをしていきましょう。
そして毎日、イエスのようになっていきましょう。