『新しい信仰』
20年前に札幌の教会でバプテスマを受けました。
そして8年前に東京へ来ました。
喜んできたのではなく、ボロボロの状態になってきました。
そこから愛深い兄弟姉妹たちに愛されて癒されてきました。
わたしにとって救われた札幌教会、そして東京の教会は本当に特別。
イザヤ書からいっしょに学びましょう。
イザヤ書の背景:
-紀元前8-7世紀
-主にユダ王国で約50年間活動
-アッシリア・バビロニアによる攻撃
-戦争の敗北・国家の衰退、捕囚
自分たちの敗北による影響。
神様はイザヤ書を通じて、民の罪深さ、同時に将来の希望を伝えた。
イザヤ書65:1-2
書物のクライマックス。
天国のビジョンが描かれている。
スケールが大きい。
現実の苦しみがあっても、天国という希望を与えてくれる。
神様ご自身が、民たちを見つけ出して助け出すと言われている。
わたしがここにいる、わたしを見なさい。
わたしたちの状況は関係なく、神様が主語であり救いを宣言してくださっている。
わたしは神様の情熱、深い愛を感じる。
民たちは求めなかったのに、それでも信じ愛し続ける神様。
神様は「わたしはいつもここにいる」と語ってくださる。
人々が振り向いてくれることを神様は待っておられる。
人とつながりたい、手を差し伸べてくださる方。
わたしはこの御言葉からそのような神様を発見することができた。
コロナ禍ではほぼすべての人にとってむずかしい状況があったと思う。
個人的にもこの数年個人的に深く傷つく出来事、仕事でも打ちのめされる事などがあった。
もう昔のような信仰は持てないのではないかと思う日々があった。
ある一人の友人から躓く思いがあった。
その人に脆弱に話す時間をもらい、その人はとても謙虚に聞いてくれた。
癒される思いがあった。
その少し後にまた別の人の発言に躓いた。
彼と二人で話した。彼もまた、悪意があってそのような発言をしたわけではないと伝えてくれた。
怒りや罪の重荷が解放された。
この数年間、カウンセリングを受ける機会、癒してくれる友人関係を与えられた。
理解してもらうだけでは癒されないことをどこかでわかっていた。
怒り、裁く心、それを隠す心。
そのような罪があった。
それによって関係を壊してしまう。
神様はそれらの罪に触れてくださった。
神様は「わたしはここにいるよ。」とずっと呼びかけていてくださっていたことがわかった。
イザヤ書61:1-2
イエス様はほんとうの深い心のニーズを聞き、癒し罪から解放してくださる方。
わたしたちがほんとうに罪に、心に向き合うとき、それは実現する。
今日、罪を明らかにしてくださいと、神様や人々の前でへりくだる用意はあるでしょうか?
もし心になにがあるのかわからないのであれば、信頼できる兄弟姉妹たちといっしょに祈ってください。
皆さんの中には傷があるかもしれない。まずは傷が癒されることが必要かもしれない。
神様はそれを癒したい方。
イザヤ書で、神様からの壮大な計画をビジョンとしてみせてもらった民たち。
彼らは苦難を経験したからこそ、その恵みの深さを理解した。
ぜひ神様が新しい信仰を与えてくださることを楽しみにしていきましょう。