『逆境からの勝利』
さきほどの冒頭でもあったように、世界では戦争もあり、若い人たちも命を落としている。
残業ばかりだったり、円安等、日本でも経済的に困窮している人たちも多くいる。
むずかしいことが様々ある時代に、わたしたちは生きている。
今日は、ハバクク書から学びましょう。
①逆境からの勝利
ハバクク書1:2-3
聞いてください。もう大変なんです。
なぜ聞いてくださらないのか?
ハバククさんは、このような思いを祈りで出した。
神様の答えは、
ハバクク書1:5-9
ハバククさんの反応は
「え~!神様何を言っちゃってるんですか?」
だったでしょう。
民が罪を犯したけれども、助けてほしいと祈ったのに対し、
ユダよりもっと強硬なバビロンに裁かれ、もっと大変なことになると。
何もしていないというから計画を教えてあげたんだ、
と神様は言われるかもしれない。
あなたははじめから何も信じないと言っただろうと。
皆さんにも、理不尽なこと、生活の中であるのではないでしょうか?
こんなに真面目にやっているのになぜと。
彼らは風のようにきて去る。
自分たちを神とし、高慢になっているから。
神様はバビロンを滅ぼされた。
この先の計画までがあった。
試練のとき、わたしたちは葛藤する。
神様のほうを向くか、違うほうを向くか。
逆境から神様のほうを向くことでしか、霊的勝利はない。
ハバクク書1:12
神様が完全であり、神様だけが勝利を収める。
このようなむずかしい中で、彼はそれを祈った。
ハバクク2章
ハバククさんの霊的ターニングポイントがある。
歩哨の役割を持って、高台に立ち、神様が何を起こしてくださるか
静かに待った。
すると神様が答えられる。
定められたときの終わりの幻を見せられた。
ハバクク書2:3−4
人を欺くことはない。
遅れても必ず来る。
待っておれ。
わたしにはここで、神様がハバククの信仰をねぎらい、励ましてくださっているように感じる。
ハバクク書3:2−3、17-19
短期間のうちに神様の力を確信している祈り。
ハバククの祈りは訴えではなく、完全に信頼している祈りに変わった。
様々なことが起きる世の中で、神様の計画が完全であることを信じて祈りましょう。
救い主の再臨のときにすべてが成し遂げられることを信じましょう。
②過剰反応する心に向き合う
神様は罪に触れたい。
さきほどのハバククが神様を待つ態度と正反対の態度が過剰反応。
ネガティブなきっかけがあると、よろしくない反応をしてしまう。
自己中心、偶像礼拝の罪。
怒っても、罪をおかしてはいけないと聖書にある。
怒りの感情自体は罪ではない。
しかし、怒りすぎると罪になる。
過剰反応が出ると、怒って人のせいにし、ぶつかり、人と断絶する。
わたしは過去に行ってみることにした。
50年ぶりに3歳のときの家に行った。
まだ家があった。当時の幼稚園、小学校、細い路地、正門前の文房具店。
父のことを思い出した。父と別れることがきまったときに、父が自分の母親に電話をしているシーン。
「母さん、別れることになっちゃった。」
父はぼろぼろ泣きながら電話していた。
わたしはよく殴られたりしていたので、この弱い父が意外だった。
「俺が死んだら、俺の骨をお前が持つんだぞ。」
自己憐憫だったかもしれない。でもわずかな愛を感じた。
23年前に他界するとき、当時の奥さんが亡くなる前にわたしに連絡するかどうかを聞いたそうだった。
「それでもいい。」と言ったときいている。
23年前、父の死を聞いても、わたしは悲しくなかった。
わたしには見捨てられがある。
いま当時のことを思い出し、初めて父のことを思って泣けた。
愛したくなかったのではなく、愛せなかった。
愛する力が足りなかったとわたし自身の思いが変えられた。
過去に向き合って、塗り替えることができたこと。
これはわたしの人生にとても大きな意味を持つ。
この数か月、自分に対する相手のネガティブな言動が伝わってくるとき、
疑心暗鬼な心になりにくくなってきた。
自分の不信、それに対する過剰反応を抑えることができてきている。
それでもできないときもあるが、客観的に見れるようになってきている。
物事を一部でしか見れず、決めつけることは未熟なこと。
今日、ハバククから学びましょう。
むずかしい中でも、神様のほうを向く。
逆境の中でも、ほんとうの神様の真意を学び続けることができます。