『復活と聖霊』
まとめ:
①復活を証明してくださる神様
②聖霊をいただける喜び
③聖霊に満たされた生き方
今日も一緒に使徒言行録から学んでいきましょう。
特に使徒言行録1章、2章から。
この説教を作るにあたり、イエスの復活と聖霊について学び、インスパイアされた。
イエスの復活は13回触れられている。
当時の人々は、どれほど復活に励まされたのかと思った。
使徒1:1−3
①復活を証明してくださる神様
筆者であるルカは、当時権力のあったテオフィロという人物に宛てて、
手紙を書いた。
復活についてはルカによる福音書に詳しく書いている。
復活は、すぐそばにいたイエスの弟子たちにとっても、信じられない出来事だった。
また、イエスの死は、彼らにとって受け入れがたいもので、同じ目に遭うのを恐れて逃げてしまった。
復活後、そのような彼らに2人、5人、7人、11人、500人に同時に現れたイエス。
復活を信じられるように40日に渡って現れた。
使徒2:22
神様はわたしたちが信じられるように、忍耐してあの手この手で復活を伝えられたこのに感謝。
皆さんの人生も、神様があの手この手で信じられるようにしてくださったと思う。
わたしはバプテスマを受けるまで、2年くらいかかった。神様を信じていなかった。
バプテスマを受ける2か月ほど前から祈りをするようになり、祈りの中で、5回ほど奇跡を起こし、信じるようにしてくださった。
②聖霊をいただける喜び
使徒1:4−8
復活されてから40日後、イエスが天に上げられる前に残された言葉
ペンテコステ(降臨祭)聖霊が下った日として重要
使徒2:1−5
ユダヤのお祭り、五旬祭だった。
一同は聖霊に満たされた。
弟子のみならず、120人が聖霊に満たされた。ほかの言葉を話した。
人々は集まり、3千人以上がいた。
ここから、初めての教会が始まる。
ペテロが人々に話しかけ、説教した。
スピーカーもない時代、エキサイトして話したことと思う。
人々がイエスを十字架につけたことと、神様が復活させてくださったこと。
この場はどのような空気だっただろうか?
確認に満ち、迫力のあったペテロの説教
群衆にむけてあなたがたが十字架につけた、と罪を躊躇なく伝えた。
群衆は悲しみや罪悪感があったと思う。
しかし、そのイエスを神様は復活させてくださったのだ!
人々は様々な感情があったことと思う。
人々は大いに心を打たれ、どうしたらよいのかと聞いた。
そこで、ペテロは悔い改めるように、聖霊によりバプテスマを受け、
罪を赦していただき、聖霊を受けるようにと言った。
3千人ほどがバプテスマを受けた。
イエスの復活を目の当たりにした120人がいて、聖霊に満たされている。
そして説教を聞いて、大いに心を打たれた。
そして、3千人のバプテスマ。
想像するとすごい場面。その場に行ってみたいと思う。
弟子の皆さん、わたしたちもバプテスマによって罪を赦され、
代わりに賜物として聖霊を受けています。
③聖霊に満たされた生き方
バプテスマを受けたとき、わたしたちはイエスの死と生に預かり、
古い自分は完全に死に、新しい人生を受けた。
すがすがしい気分だった。
しかし、弟子になっても、古い自分が死んでいない、何年経っても同じ罪を繰り返している。
そのようなむずかしさを抱きませんか?わたしはよく神様が主でなく、自分中心になり、
このような思いになる。
ルカ9:23
でも大丈夫。毎日シンプルにメタノイア(悔い改め)して、
聖霊に頼ればよい。
わたしたちは迷い、不安や恐れに取りつかれる。
しかし、わたしたちには聖霊が与えられている。
なにがよいことで悪いことか、聖霊が気づかせてくれる。
今日わたしたちは、聖霊に頼って、聖霊の働きを信じていきましょう。
個人的なメタノイアのシェア。
妻のと関係で弱さが出やすい。妻の不安やさみしさの感情が出ると、ゆがんで捉えてしまい、
反撃してしまう傾向がある。 わたしは幼少期からの孤独感、不安によりその思いに捕らえられ、行動してしまう。
むずかしくなると、兄弟姉妹たちに助けてもらう。コミュニティーに感謝。
冷静になると理解できるが、その場になると、同じことを繰り返してしまう。
自分のことだけ見ると、わかっていてもできない自分に落ち込む。
しかし、わたしたちの希望は、忍耐強い神様の愛と、イエスを復活させてくださった神様の力がある。
ペテロもパウロも、自分の力ではなく、神様の力により変えられ、神様の栄光を表す人生を歩んだ。
わたしたちも、自分ではなく、聖霊に頼って生きること、弱さを変えていただき、それを神様の栄光にできる。
一致と祈り、今年の教会のテーマ。
日々一致し、共に祈りながら、神様の栄光を表していきましょう。