『イエスは、まことのぶどうの木』
スライドはこちらから→20210912 ヨハネシリーズ イエスは、まことのぶどうの木
恒例の聖書クイズから始めたい。
(A)と(B)に当てはまる言葉で正しい組み合わせは?
ヨハネ15:1
「わたしはまことの(A)の木、わたしの父は(B)である」
1.(A)ぶどう (B)畑
2.(A)ぶどう (B)農夫
3.(A)オリーブ (B)畑
4.(A)オリーブ (B)農夫
正解は2。
私たちは過去2ヶ月半、ヨハネの福音書から学んでいる。
イエスを正しく見ることに取り組んでいる。
皆さん一人一人のイエスに対する見方が変えられることをお祈りしています。
イエスは7種類の表現で自らを表現している。
1.命のパン(ヨハネ6:35)
2.世の光(ヨハネ8:12)
3.羊の門(ヨハネ10:7)
4.良い羊飼い(ヨハネ10:11)
5.復活(ヨハネ11:25)
6.道、真理、命(ヨハネ14:6)
7.まことのぶどうの木(ヨハネ15:1)
今日は7つ目、「まことのぶどうの木」から話したい。
ヨハネ15:1
このような表現は、単なる説明を超えてイエスが表現されている。
イエスが話された言葉は個人的に届いていますか?
日々、イエスから命のパンをいただいていますか?
イエスが心の闇を照らす光になっていますか?
イエスの中から進むべき道を見出していますか
イエスを正しく見ることが、一人一人の人生に実現していくことをお祈りしています。
今日はヨハネ15章から学びましょう。
ヨハネ15:1-11
死んだナザロを復活させた後、指導者たちはイエスに対する敵対心をますます強めてしまう。
イエスは命を狙われてしまう。
その状況で弟子たちが信仰をどのように保ち続けられるか心を配っていた。
ヨハネ15章の中で、イエスは繰り返しつながることを話した。
3つの繋がりについて:
1.イエスの弟子たちとの繋がり(ヨハネ15:1−11)
2.弟子たちのお互いの繋がり(ヨハネ15:12-17)
3.弟子たちと世の繋がり(ヨハネ15:18-27)
今日はそのうちの1と2について話したい。
ポイント1:イエスに繋がる
イエスはご自身がまことのぶどうの木であること、父が農夫、私たちが枝であると話した。
農夫の神様がイエスを植えられ、私たちはそれに繋がっている枝。
農夫は木を植え、水をやる。
幹は枝が木に繋がっていられるように支える。
枝の役割は何ですか?
実を結ぶこと?確かに大切。
枝の最も大切な役割は、木に繋がること。
繋がっていれば、自然に実を結ぶ。
繋がっていなければ、実を結べない。
枝が最も気にすべきことは、枝自身が幹にしっかり繋がっているということ。
イエスは何度も何度も繰り返して繋がることについて話している。
4節「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。」
5節「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」
6節「わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。」
7節「あなたがたがわたしに繋がっており」
繰り返し繰り返し、繋がることについて話している。
実を結びなさい、ではなく繋がりなさいと。
イエスがこれだけ繰り返し話しているのであれば、私たちはこの言葉に耳を傾ける必要がある。
今日、私たちはイエスに繋がっていますか?
このような繋がりを考えると、二人三脚を思い出す。
二人が一組になり、お互いの足を結んで肩を組んで走る。
運動会でよく見る面白い競技。
早くゴールすることが求められる。
早くゴール、にこだわりすぎると転ぶ。紐が外れて失格になることもある。
早く走ることよりも、まずは足を結んでいる相手と歩調を合わせることを求められる。
まずは足がそれぞれの方向にいかないようにしっかり歩幅を合わせる。
始めは互いの息が合わず、つまづく。
しかし、練習を重ねるとスピードに乗り、加速し、走れるようになる。
時に片方が疲れていても、足がしっかり繋がっていれば相手に助けてもらって走れる。
一人では味わえない感動。
繋がる喜びを感じられる。
イエスに繋がっていること、二人三脚に似ている。
紐で足をしっかり結んでイエスと歩むこと、希望とワクワクした感覚になり、人生が新たにされた思いになる。
しかし、イエスの思いでなく自分の思いで生きようとすると、結んだ紐に引っ張られて窮屈になる。
それでも無理矢理自分の行きたい方向に行くと、ますます窮屈になる。
そしてそのような時間が続くと、紐から足を抜いて走りたいと思ってしまう。
イエスに繋がっていること、重荷に感じることもある。
でも、イエスは繋がって生きるように教えている。
時に私たちが走れなくなる時があっても、助けてくれる。
今日、私たちはイエスに繋がっているでしょうか
足の紐はしっかり結ばれているでしょうか?
イエスと肩を組んで同じ方向に向かって走っていますか?
心を吟味しましょう。
イエスに繋がることは具体的に何を意味しますか?
ヨハネ15:7
枝が幹から栄養をもらうようにイエスから栄養をもらえる。
私たちの心の中にイエスから教えられた言葉がいつもある。
イエスの言葉が私たちを満たしてくださる。
しかし実際に私たちの心の中には別の言葉があるのではないでしょうか?
イエスから来ない別の言葉。
イエスに繋がっているつもりが、本当はイエスではない別のものの言葉を聞いていませんか?
私たちは何の言葉を聞いているか心を配る必要がある。
気が付かないうちに、イエスでないもので心がいっぱいになっていないか吟味する必要がある。
間違った言葉を心から追い出し、イエスの言葉でいっぱいにしましょう。
イエスでいっぱいにしましょう。
イエスの言葉で心をいっぱいにしましょう。
それによって神様の栄光を表せる。
ポイント2:互いに繋がりましょう
ヨハネ15:12-14
イエスは私たちがイエスに繋がることに加えて、お互いにつながるように教えている。
イエスが私たちを愛したように、互いに愛し合うように教えている。
そして、イエスのように愛するのであれば、友であると話している
主と僕の関係を超えて、師匠と弟子の関係を超えて、友。
友であると表現されるほど、愛し合うことを実現しようとしている。
簡単なことではない。
自分にとって最も大切なものを差し出す愛。
昨日の延長戦ではなく、日々成長することが期待される愛。
イエスご自身がそうだったように、互いに愛することが期待されている。
イエスの思いに向き合った時、圧倒される。
自分がこの掟通りに愛せないことに不安になる。
それでも愛されたいと熱望しましょう。
M・スコット・ペック博士は著書「愛と心理療法」の中で愛について定義している。
「愛とは、自分自身や他人の精神的成長を助けるために、自分を広げようとする意思である。」
私たちは誰かを本当に愛そうとするときに、自分の心の狭さに直面するのではないでしょうか。
イエスは私たちの器が広がることを期待している。
今日、私たちはイエスの愛に繋がっていますか?
イエスの愛で愛し合っていますか?
過去1年半、私たちは繋がることの難しさ、大切さを実感している。
闇が深いほど星が輝くように、難しい状況だからこそイエスの愛が輝くことを期待している。
互いに愛し合うために心を尽くしましょう。
イエスは弟子たちに対して、ご自身が世を去った後に2つの期待をしている。
イエスに繋がること、つまりイエスの言葉を聞くこと。
互いに繋がること。
イエスはこの二つで信仰を守るように伝えている。
イエスに繋がりましょう。
今まで以上に深い愛を持って、お互いに繋がりましょう。