『イエスは道であり、真理であり、命である』
スライドはこちらから→20210905 ヨハネシリーズ 私は道であり、真理であり、命である
ヨハネシリーズのテーマ、「イエスを正しく見る」。
今日はヨハネの福音書でのイエスの言葉、「私は〜である」の6つ目、
「私は道であり、真理であり、命である」から考えたい。
恒例のクイズから始めます。
Q.レオナルド・ダ・ビンチの有名な絵画「最後の晩餐」で、イエスは真ん中ですが、ヨハネはどの人でしょうか?
ヨハネ13:23-24を読むとわかる。
イエスの左隣の白い人がヨハネ。
ペテロが隣、「誰が裏切り者か確認してくれ」と声をかけているところ。
ペトロの右手、ナイフを持っている。
最後の晩餐のミステリー。
ペテロの右手の向きがおかしい。
別の人を描いたのではないか?とも言われる。
今回学ぶのは、最後の晩餐の場面でイエスが「裏切り者がいる」と言った後の場面。
ヨハネ14:1-6
最後の晩餐の後、弟子とイエスの間で話された。
イエスが「あなた方の前から去る」と伝え、弟子がイエスに「あなたはどこに行かれるのか?」と聞いて、この会話になっている。
「心を騒がせないでください」とイエスは「私は道であり、真理であり、命である。」と伝えた。
イエスは何を伝えようとしていますか?
皆さんは生活の中で、これは本当に便利だと思う物はありますか?
ナビゲーションシステム。本当に便利。
今の時代、どこにでも行ける。
行ったことがない場所でも目的地を入力すると道のりが正確に出る。
行ったことも見たことがない場所でも安心に行ける。
その場所を知る友達がいなくても、その場所に誰も知り合いがいなくても。
目的地がわかるだけでなく、道のりがわかるだけでもない。
目的地を知っていないと、道を知っていても方向性がない。
目的地と道のりが両方わかるのが凄さ。
ただし、クリスチャンの中で「道に迷った時に聖霊ナビに頼っている」というのは言い訳。ナビに従順ではないだけ。。。
GPSは「God,Please Show me the way」という意味ではない。
イエスは目的地と道のりについて話している。
本当にイエスが私たちの目的地を示してくださるのでしたら、その歩みはどうなるか?
神様は目的地と道のりを示してくださっているのでしたら、その先の道があるのでしょうか?
私たちがとても苦しい道を歩むことになっても、その先に必ず希望を用意してくださると思う。
ポイント:イエスは真実の導き手
ヨハネ14:2-3
イエスは自分を信じる者のために住む場所、部屋を用意する、という興味深い表現を使った。
十字架のことを指している。
イエスは十字架にかかって葬られて復活し、救いを成し遂げてくださった。
聖霊の約束を与えてくださった。
イエスは、「私と共にいることになる」と言ってくださった。
イエスご自身が目的地になってくださった。
目的地にたどり着くのが簡単なわけではない。
目的地があれば、何が必要か分かる。
希望がある。
目的地があれば、空を打つような虚しい人生を送ることがない。
この目的地はイエスが私たちのために用意してくれている。
目的地はただの場所ではなく、イエスご自身。
喜び、平安にあずかるように期待してくれている。
続けてイエスは何とおっしゃったでしょうか?
ヨハネ14:5-6
続けてイエスは、「行くところ、道をあなた方は知っている」と言った。
トマスは「道がわかりません」、と言った。
イエスは「私が道であり、真理であり、命である」と言った。
特に道に強調が置かれている。
道は皆さんにとってどのようなイメージですか?
「道」は「道のり」であり、プロセス。
ある人、「キリスト教徒」は正確な表現ではないと言った。
イエスと共に歩むことは知識を得ることではないから。
「キリスト道」の方が良い表現。
私もよく間違える。
イエスは道だと思えているから大丈夫、思えていないならダメだと。
道のりには嵐の時も、平安な時もある
急な上り坂、下り坂の時もある。
イエスがその道のりだとするならば、留まり続け、迷いそうな時に何度も戻り続けて一緒に歩めば良い。
いい時も悪い時も下り坂と感じる時もイエスに留まれば、イエスが道であり、真理であり、命であることを理解できる。
イエスは目的地、道のりである。
そのことについてどう思いますか?
今日、一人の社会人の男性がバプテスマを受ける。
最初は聖書を全く知らない、人と交わりたくない人だった。
関係を築いて心が開かれて、人生に目的がなかった彼が、イエスが人生の目的地になることを学んだ。
しかし、自分のキャラクターのことや、家族との関係などで、向かう決心ができなかった
しかし素晴らしかったのは、彼はイエスに戻り続けたこと。
前が見えなくても、進んでいない感覚があっても、イエスに戻り続けた。
彼にとってイエスは道のり、目的地だった。
イエスは両方になってくれる存在。
今日、彼はイエスが自分の目的地であり道のりであるとわかった。
彼に聞いてみてください。力強く、イエスは道であり、真理であることを話してくれる。
イエスはこれからも彼の目的地であり、道のりでもある。
このヨハネシリーズで一番最初に言及されたこと、ヨハネの福音書では人との会話でのイエスのメッセージが多い。
何か特別なスピーチでイエスが話したことではない。
時折この言葉は排他的な物として扱われるが、そうではない。
弟子たちにのみ、イエスを個人的に知っている人にのみ個人的に語られたもの。
今日、わたしにとってこの言葉は真理でしょうか?イエスは道のりでしょうか?
今日の説教が難しくなっているのは、聖句の中でなぜイエスが道で真理かを言っていないから。
私たちがこの言葉を個人的な物に出来るよう、イエスに問いかけ続けましょう。
個人的にもイエスの存在に感謝している。
この御言葉、どれだけ必要な言葉か。
色んなことを考えることが年々多くなった。
どうしたらイエスの道を行けるか。
このルートは正しいのか、間違っているか。
目的地、道のりのことを考えたい。
最終的にイエスのところに、本当に自分は信じて辿り着けるか。
ヨハネ14:1
心が騒いでいると、そのまま留まり続けてしまう。
ナビのいいところ、道のりを外れるとしつこく言ってくること。正しい道を進みたいから。
私たちに対してイエスは大変だよね、心騒ぐよね、と共感してくれる
その中で私たちが信じて歩むことを期待してくれている
イエスを信頼することを戦わないといけない。
イエスは私たちに妥協しないように言い続けてくださった。
どんな時もイエスを見ることを心がけてくださった。
イエスに妥協しないでください。
イエスの呼びかけに反応し、周りの人たちに伝えてください。
最後に衛星の話をしたい。
GPSが変わった。
元々はアメリカのものだったが、日本で一番高い精度を持っている。
2017年に4機体制になり、2018年から運用開始した。
この衛星の名前が「準天頂衛星 みちびき」。
イエスが常に導いてくださっている。
イエスは目的地、道のり。
道であり、真理、命。
信頼してイエスに留まり続けましょう。