『イエスは良い羊飼い-良い羊飼いを知る-』
スライドはこちらから→20210822 ヨハネシリーズ イエスは良い羊飼い
イザヤ書40:11
詩編77:21
ヨハネによる福音書10:1-4
当時のユダヤ人にとって、羊のたとえは非常にわかりやすかった。
各家庭は、羊を家畜として飼っていた。寒い冬、遊牧民として羊の毛が必要だった。
羊に名前もつけることはめずらしくなかった。
イエスは自分を羊の門といわれた。
コミュニティーには共同の羊の囲いがあり、夜になると羊をそこに入れていた。
朝には名前を呼んで、羊たちを呼び出した。
山に連れていき、草を食べさせた。
羊飼いの仕事はハードワーク。
広大な土地で羊を見守る。
熊やライオンとも遭遇する可能性がある。
高い時給を払うから、羊飼いの仕事はどうですか?といわれたら、皆さんはやりたいですか?
私は、獣と戦うことはできないと思うので断ります。
羊は、頑固で、おとなしく、目がよくない。早く走れない。
飼い主がいないと死ぬ確率が高い。
優れた点といえば、ヨハネ10:5にあるように、他の者にはついていかない。
自分の主人の声を聞き分ける。
迷子の羊が山でみつかったとき、毛で覆われて42kgものセーターになるような毛のかたまりになっていた。
毛を刈ってもらわないとだめ。
人間も似ている。
イエスのケアがなければ生きられない。
ヨハネ10:11
イエスが自分を良い羊飼いというのは、自分の命を羊、世の人々のために捨てるから。
ルカ15:4
100匹中、1匹でもいなければ、99匹がいるからよいというのではなく、1匹を探し出してくれる。
羊の名前は、どんなものだったのか?
当時のユダヤ社会では、名前はその人の特性や人格を表すと考えられていた。
名前を呼ぶという意味は、神様がわたしたちのことをよくわかっておられ、命の書に記されていることを意味する。
ヨハネ10:14-15
良い羊飼いであるイエスは、わたしたちのことを知っておられる。
わたしたちがいかに弱い存在かを知っておられ、命を捨てても守ってくださる。
イエスにおいて、わたしたちは深くやすらげる。
イエスはどのような方か?
コロサイ1:15-17
わたしたちのために命を捨ててくださった方は、天地創造の前から存在された方。
このことはすごい恵みであると同時に、あまりに壮大でピンとこない。
天と地を造られたその方が、1匹の羊を救ってくださる。
2憶5千万×2億5千万
星の数。その星を宇宙の空間にぶら下げているのは、神様とイエスの力。
万物は、全てその方によって創造された。
その方がわたしたちの羊飼い。
そのこと、広さ、深さ、高さは一生黙想しなければ、なかなかわからない。
エフェソ1:18-19
今日のキーワードは『知る』
パウロはここで神を深く知ること、我々がいただいた希望がどれほどのものか、天国がどれほどのものか、我々に働く神の働きがどれほど絶大であるか知ってほしいと書いている。
中には、「もう十分です。」と思う場合もあると思う。
しかし、このイエスの素晴らしさを知っていくことは、長い人生の困難の中で、必要なこと。
マタイ26:39
完全な人間の身で来られたイエス。十字架は一番の苦しみだった。
絶大な力があるからといって、楽々ではなかった。
イエスの十字架によって、わたしたち罪人は、イエスからケアされる羊となった。
詩編23:1-6
ダビデは自分が羊になった目線でこの詩を書いた。
イエスは良い羊飼い。わたしたちは羊飼いに完全に頼る羊でありたい。
あれほど愛してくださったイエスに、決して無関心ではいけない。
わたしたちのために命を捨ててくださった方を、一生かけて知っていただきたい。
そのことは喜び。
マタイ28:20
『わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』
わたしたちは、良い羊飼いにとって、よい羊でありたいと思います。