『ダビデシリーズ:新しい神様を踊って迎えよう』
スライドはこちらから→20210606 ダビデシリーズ 新しい神様を踊って迎えよう
ダビデの経験を通して神様を知り、神様を見ることができる。
ダビデシリーズのテーマ、頭の片隅に置いて聞いてください。
View of God 神を正しく見る
View of Self 自分を正しく見る
View of Others 他人を正しく見る
ポイント1:神様が打ち砕かれる時
1歴代誌上13:1-14
サウルとヨナタンが死に、ダビデが王になった。
エルサレムを奪還し、神様の箱を運んでくる場面。
ダビデは神様を敬い、大事にしたいと思っていた。
だからエルサレムに神の箱を移そうとした。
1歴代誌上13:5
エジプトのナイル川を挟んで全域にいる、イスラエル人を集めて神の箱を運ぼうとした。
一大イベント。
ウザとアフヨが任命され、神の箱を牛の荷車を乗せて運んだ。
大名行列のようなものをイメージして欲しい。
熱気とともに楽器も奏でられた。
最初の10kmは順調だった。
しかし牛がよろめき、神の箱も落ちそうになりウザがとっさに押さえた。
神様はウザを打ち砕いた。
その場が騒然となる。熱気は覚めた。
神の箱を運ぶ計画は失敗し、ダビデは怒った。
彼はなぜ神様はウザを打ったのか分からなかった。
神様のためにやったのに、裏切られた思い。
そしてダビデは恐れる。
「どうして神の箱を迎えることができようか」
歴代誌上13:12-13
計画の失敗を認め、神の箱をエルサレムに置くことを断念した。
皆さん、この場面をどう思いますか?
ウザを殺すなんてやりすぎと思いますか?
私は説教を作るにあたって、何度もこの場面を読み返した。
いたたまれない気持ちになった。
ダビデの気持ち、ウザの気持ち。
人生の中で想像もしていなかった出来事が起った時、あなたはどう思いますか?
自分自身に理由がある?家族に理由がある?探しても分からないことがあると思う。
コロナ禍、理由が全く分からない。
私もコロナ禍で上手く行かないことが多く、自信を無くしてしまった。
新しい考えが必要だった。
プロセスする中で、「自分は頑張ったのに神様は答えてくれない」という、神様を責める思いがあった。
また、目標を達成できない自分を責める思いもあった。
兄弟姉妹に助けを求め、その中で神様が見せてくれたものがあった。
自信がなく、劣等感を持ちやすい反面、自分のやり方を曲げないプライド。
自分が正しいということを実感したい、プライド。
新しい神様との関係を持つため、心を変える必要があった。
聖書を読むと、神様の箱を移すことをダビデは独りよがりで決めていなかった。協議した。
ダビデは神様と共に戦い、勝利してきた。
でも大切な友、ウザが打ち砕かれた。
なぜでしょうか?
ウザたちは神の箱を牛に引っ張らせた。
出エジプト25:10-16
神様は箱の運び方を定めていた。
日本人にわかりやすく言うと、レビ人が神輿のように方に担いで運ぶのが正しい運び方。
台車に乗せて、牛に引っ張らせる、それはペリシテ人が運んだ杜撰なやり方。
神様はそのようなことを許す方ではない。
ウザを撃たなかったら、神様の権威が存在しない。
神様はウザを撃たざるを得なかった。
ダビデは、ウザを任命したものとして責任があった。
この時代、誰一人わざとではなかったと思う。
明らかに全員、神様を正しく見ていなかった。
3ヶ月後、神の箱を改めて運ぼうとする。
1歴代誌15:1-15、25-29
エルサレムに箱が到着した。大成功。
ダビデは聖書を開いて読み、モーセの律法の通りにて運んだ。
ウザが打ち砕かれた時、彼の心も打ち砕かれた。
自分もウザと同じと認めることができた。
ダビデは新しい神様を学ぶことができた。
神様に打ち砕かれた時、それはチャンス。
ダビデから学ぶことができる。
クリスチャンであってもそうでなくても、時に神様は私たちを打ち砕かれる。
うまくいかず、苦しく、見通しが立たない。
孤独、恐れに苛まれる、寂しい夜はないでしょうか?
今、このような状況の人もいると思う。
ダビデのように怒りと恐れに染まる。
神様は、神様の方法で働く。
聖書勉強、今までのやり方でうまくいかない
神様は、素晴らしくなるために一人一人を打ち砕く。
それは何か問いかけてください。
ポイント2:神様自らがお入りになる時
2サムエル6:14
ダビデは力の限り踊った。
ぐるぐる回る、飛び跳ねる。体をいっぱい使った踊り。
ダビデに見られなかった行動。
恥も外聞もなく踊り切った。
王様なのに恥ずかしい、ということは考えない。
なぜここまで夢中になれるか?普通踊りますか?
踊れない。恥ずかしいから。
みんな見ている中、どう踊ったらいいか分からない。
普通の成人した男性、女性は踊らない。
皆さん、飛び跳ねて喜んだのはいつですか?
そういう人を見ましたか?
3歳の甥っ子がいる。先日動画を貰ったが、踊り狂うように喜んで動き回って、とても可愛い。
ダビデも子供のように踊った。
目の前の喜びに精一杯。
前回の痛手もあって、成功させたかった。
1歴代誌13:12
ダビデ自身、心の底で気気づいていなかったが、「自分が」神様の箱を運ぼうとしていた。自分が主語。
神様はその高慢さを打ち砕いた。
打ち砕かれた心、ダビデの態度から見ることができる。
詩編24:1-10
詩編は歌だが、この箇所の後半は二つのグループに分けて掛け合いのように歌われる。
「城門よ、頭を上げよ」「とこしえの門よ、身を起こせ。栄光に輝く王が来られる。」
「 栄光に輝く王とは誰か。」「強く雄々しい主、雄々しく戦われる主。」
「城門よ、頭を上げよ」「とこしえの門よ、身を起こせ。栄光に輝く王が来られる。」
「栄光に輝く王とは誰か。」「万軍の主、主こそ栄光に輝く王。」
主語が「主」神様になった。
神様が自ら来てくださることの喜びに満たされている。
もうダビデ自身はない。
栄光の神様がエルサレムに入ってきてくれることの喜びと興奮に包まれた。
100%心が自由になった。
今までダビデは神様を主語に、一番にしていなかった?そんなことはなかった。
王様になって、神様の箱を運ぶ事によって違うレベルで神様を知る必要があった。
私たちも学び直す必要があるのではないでしょうか?
ダビデが踊る場面、これ以上出てこない。
全ての心を全部さらけ出し、踊った。
私たちが神様を正しく見た時どのようになるか、ダビデが教えてくれた。
私たちはダビデのような態度を取りますか?ミカルのような態度を取りますか?
先週のバプテスマ、励まされた、
彼は感情を出さないタイプだったが、とても喜んでいた。
自分のバプテスマを思い出してください。喜び踊りましたか?
私たちが踊る時、神様も祝宴を開いてくださる。
私たちの体は神様が住まう神殿。
ダビデのように新しい神様に出会い、喜びましょう。
新しい神様を踊って迎えましょう。