『最終ゴールを目指して』
スライドはこちらから→20200719 マルコシリーズ7 最終ゴールを目指して
今日はいっしょにマルコ13章から学びましょう。
マルコ13:3-13
イエスがオリーブ山で神殿の方を向いて座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに尋ねた。
「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」
イエスは話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。
戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。
民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。
あなたがたは自分のことに気をつけていなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。
また、わたしのために総督や王の前に立たされて、証しをすることになる。
しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。
引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。
そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。
兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。
また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」
マルコによる福音書の中で最も難しいと言われている。
・惑わす者
・戦争のうわさ
・民族は民族に、国は国に敵対
・方々に地震と危機
・引き渡され、打ち叩かれる
・兄弟は兄弟、父と子で死なせる
・すべての人に憎まれる
圧倒されることの数々が書かれている。
「終末」について書かれている。
聖書には終わりの時があるとはっきり書いてある。
同時に、もう一つのこと、「エルサレム陥落」(紀元70年)についても書かれていると言われている。
エルサレム陥落の直前に書かれた。
「黙示的メッセージ」
神様の特別なメッセージの啓示。
いまは見えていない、覆いが取り除かれることについて(黙示録もそう)。
イメージ的、シンボル的な言葉や表現が使われている。
内容が難しい。
ポイント1:決めつけずに、最終ゴールを目指す
この場面は、数人の弟子の質問から始まる。
「いつこのようなことが起きるんですか?」
重要な内容。イエスの最も長いスピーチ。
十字架に架かる直前の最後の1週間に話された。
私たちはどのようにこの言葉を捉えますか?
わからないことではなく、はっきりわかっていることを捉えましょう。
はっきりわかっていること:イエスは誰か。
マルコ13:26-27
そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。
そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
ダニエル書からの引用。
旧約聖書で最も具体的にメシアを表現した箇所。
イエスは自分が救い主であることをはっきりと示された。
『その時、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。』
よい知らせ=王が戦争に勝って、凱旋して勝利を宣言することがもともとの意味。
救い=王様が敵から民を救う。
イエスは、圧倒されるような出来事がこの世では起こるが、私たちには最終的なゴールがある。
神様が救いの道を与え、勝利をもたらされる、それが約束されていることを伝えられた。
惑わされないように(5節)
自分たちのことに気を付けていなさい(9節)
いま起きている状況よりも、最終的なゴール、自分たちに気を配るように言われた。
今年、わたしはある人物に励まされている。
アムンセン(1872-1928)
ノルウェーの探検家。
犬ぞりで南極点を目指した。何年も入念に準備した。成し遂げた。
どんなに難しいことがあったとしても、ゴールを目指し、柔軟に対応し、
到着した。
彼はどれほどの困難があるかを予測して、ありえないほど節制し、行動した。
わたしたちの霊的人生も、ゴールは変わらない。
なぜやっているのかがクリアになる。
改めてなぜやっているのかを理解しなければいけない。
わたしたちはときどき、問題に左右されすぎる。
戦争、自然環境、親子関係・・・。
最終メッセージが見えなくなる。
起きている出来事の教訓を、受け止められなくなる。
わたしたちは状況の判断に、早急になってしまうかもしれない。
アムンセンのライバル、スコット。
南極点には到達したが、帰り道に全員凍死した。
判断を誤った。本当のゴールを遠ざける振る舞いをしてしまった。
わたしたちは決めつけず、最終ゴールを目指しましょう。
ポイント2:目を覚ましている
マルコ13:32-37
「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。
気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。
それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、
門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。
だから、目を覚ましていなさい。
いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。
主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。
あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」
イエスのアドバイス。
最終ゴールを目指すなら、起きていないといけない。
たとえ話。主人の帰りを待つ門番。門番は常に家を守り、主人の帰りをウェルカムする必要がある。
イギリスの衛兵。いっさい動いてはいけない。
今日、わたしたちが門番のように目を覚ましてはいけない、というのはどのように感じますか?
わたしは不安になる。いつも見張ってないといけないんだ。緊張。
自分は準備できているのか、ふさわしいのか、重く感じる。
しかし、この箇所は本当にそのことを言っているのか?
わたしたちの最終ゴールはよい知らせ。
「その“時”がいつなのか、あなたがたにはわからないからである。」
この“時”で使われる言葉=時→カイロス(ギリシャ語)
もう一つの時を表す言葉はクロノス(ギリシャ語)
カイロス:例)何事にも「時」がある。適切な時、タイミングを指す。
クロノスは特定の時間。
いつなのかわからない。クロノスで捉えている。
いまが終末だろうかと、恐れと不安から調べてしまう。
イエスは、誰もわからない。人の子、イエスも知らないと言われた。
つまり、わたしたちは、カイロス、神様のタイミングを注意深くみるように言われている。
信頼すること。“目を覚ましている” 神様のタイミング、働きに注意を払うこと。
不安や恐れ→信頼と従順へ神様に委ねる態度。
イエスはいま目を覚ましていることを話す。
終末のことを話しているが、いまのことでもある。
最近、いつ、神様を感じましたか?
心から、神様が働いていると感じたでしょうか?
カイロスである神様の時が理解できないときには、わたしたちは霊的に鈍くなっている。
今日、目を覚ましていきましょう。
神様の働き、奇跡をみていきましょう。
2週間前、キャンパスでバプテスマがあった。
最終的に彼は、自分の決心で神様に立ち返った。
大学生なので、バプテスマ前に両親に確信を伝えた。
彼は確信を話し、ご両親には反対された。
日本で一般的に教会のこと、聖書はよくわからない。
そのようなことが多々ある。
このようなことがあると、わたしたちがベストだと思う、価値を置いているものについて、考えされされる。
彼も葛藤していた。でも、彼は誠実に向き合ってベストを尽くすと決心した。
かつてないほど家族と深く話せた。彼の神様との関係は深くなった。
これこそ、神様のタイミングだと思った。
目を覚まされる。目を覚ましていたいと思った。
ぜひ目を覚まして、神様の業を見ていきましょう。
今日は『最終ゴールを目指して』という説教でした。
ありがとうございました。